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1:タール団会員Tの部屋
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2020/04/11 (Sat) 12:00:15
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ここは俺の部屋。Twitter的に使っていこうかな。
皆さんよろしく。
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46:T
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2023/01/02 (Mon) 13:38:01
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2022→2023
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
昨年の目標であった「あらゆるところで目に見える結果を出す」という目標は達成できなかったと思っております。
これは当然非常に残念に思いましたが、そうした感情を抱けるのも目標をセットしたからであって悪くはないなという感覚があります。
「まあ昨年できなかったのならまた今年やりゃあいい」
そんぐらいのワクワクした気持ちが今はあります。ゲームですよゲーム。
そういえばコロナ禍に突入してからというもの、私はなぜかこのようなワクワク感が常にあります。「さあ今日は何をやってやろうか」という悪ガキのような感覚。幼少期もこんな感じだったのかな。
ここ数年で自分の中で一体何が起きたのかこれはまったく謎なんですが、良いこととは思うのでこのまま生きます。
昨年はモチベーションに対して体が追いつかないギャップに少々苦しんだ一年ではありました。
こんなことは初めてだったので正直とても怯みましたが、勢いだけではなく、経験値を積んだ大人だからこそ行えるマジック「緩急」。これを今のうちからもう少し器用に行えるようにしとけという私の魂の声だったとポジティブに捉えてはいます。なかなか緩急の付け方が難しく相変わらず苦戦中ですが、なんとかこれを習得し、効率的に人として達人の域にいきたいものです。
もちろんまだ体がー体がーと言うには早い気がする年齢だとは思われるので(笑)体力の再強化も並行して行いつつって感じですかね。
そういえば昔部活道で剣道をやっていた私の兄弟から大変面白い話を聞いたことがあります。
練習の一環で剣道何段かのぱっと見ヨボヨボのおじいちゃんを相手に私の兄弟(最終三段)含めた当時10代の言ってみれば現役の若者たちが本気で勝負に挑んでみたがおじいちゃんに「ホレ。ホレ。」とヘラヘラ遊ばれて呆気なく負けたと。向こうは笑みを浮かべながら一歩も動かなかったとか。歳をとることは決して衰えではない。達人への道でございます。
タール団員T
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45:T
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2022/11/11 (Fri) 12:35:06
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【流鉄流山線の強み】
私の兄弟から聞いた話。
以前神奈川県だか都内だか出身の友人と雑談をしていく中で自然と地元のローカル線である流鉄流山線の話題になったそうで、当然その友人は流鉄流山線なんぞ知らないものですから「その電車って何色なの?」と質問。
私の兄弟は「色々ある」と返したそうですが、その友人は戸惑った様子で「え?どういうこと?」と反応。
私の兄弟はその時内心「なんでわからねえんだよ」と思い、そのまま彼のその質問を無視したそうですが(まったく冷たい男だ)、だいぶ時間が経ってから私の兄弟は気付いたのです。カラーバリエーション豊富な流鉄流山線が寧ろ特異過ぎるということを。当然友人はそのような路線を経験したことがなく、あの反応は当たり前の反応だったということを。例:山手線(緑色固定)
「彼には申し訳ないことをしたと思っている」
私の兄弟はそう供述しています。
タール団員T
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44:T
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2022/11/04 (Fri) 11:00:01
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https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_879400/879329/full/879329_1667527201.jpg
【某メンバーの結婚式前日の話】
最近某メンバーのところに更なる御子が誕生したとのことで親しい仲間の人生の節に,そしてまたその御子の人生のスタートに際し当然めでたく色々思うところもあるわけですが,思いを巡らせていく中で脳みそというのは芋づる式に余計な情報も引き出しから持ってくるものです.
遥か昔のまったく違うメンバーの人生の節,結婚式前日のことが思い出されたのです.
あの日はタール団では二部隊に分かれて活動が行われていました.一方の部隊では何かの打ち上げ的な催し(どういう集まりだったか詳細は忘れました)が某カラオケ店で5人ぐらいのメンツで行われていました.ももクロファンの某メンバーの踊りが凄かったとの感想を参加していたメンバーから後日聞いたりもしましたが,私が参加していたのはそっちの打ち上げ部隊ではなく二日後に予定していた”たるほん屋”の準備部隊の方でした.
その準備部隊に翌日結婚式を迎える某メンバーもおりました.南流山駅前のスーパーマルヤから段ボールを貰ってそれをせっせと運んでくる某メンバーを遠目から見ながら「あいつマジで明日結婚式なのか?」と思ったものです.
確かに翌日は都内の良いところでビシッと決めた某メンバーが結婚式を開いておりましたが…その二日間のギャップたるや凄まじいこと.
そんなことを全然違う某メンバーの御子の誕生に際し,ふと思い出したというだけの話なんですが笑,結婚式前日にも関わらずああいう作業を行ってしまう彼の凄まじさ・クレイジーさはある意味伝説級だとは思うのでここに改めてあの時の思い出を残しておこうかなと思った次第でございます.
凄いですよね?普通の人は結婚式前日に(しかも夕方だったし)段ボールや古本を運んだりはしないと思います笑 熱量がゴイスーです.でもそのおかげで二日後に我々はたるほん屋の活動を流山市は江戸川台の方で行えたわけです。
今となっては良い思い出ですね.
話が打って変わるようですが,上記のような思い出含めてタール団員との思い出は基本誰しもが持つ「友人との思い出」なわけですが,イコールタール団の歴史でもあります.なんでもそうなっちゃうというか.
一つ一つの何気ない友人達との思い出がタール団という媒体で連綿と紡がれていて,ふと振り返った時に「タール団」という一つ軸で彼らとの思い出を語れるのはこれは大変面白いことと思うし,事実上記のような思い出の積み上げで今日もタール団というものは存在していると思います.
この先もこの灯を比叡山延暦寺の1200年続く不滅の法灯ように灯し続けるというか運んでいくというか.それが一つ醍醐味と思っております.不滅の法灯も携わった数多の人々の人生がそこに集約されているものと思うんです.それって私は大変美しいものと思うんですね.あくまで人間的な観点で見ればの話ですが.
タール団はもうすぐ満23年,24年目に突入します.これまでの20数年は予行練習のようなものでこれからが遊ぶことの本番と思っております.遊んでいくことに,秘密基地作りに終わりなんぞありません.
団員T
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43:T
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2022/10/18 (Tue) 11:58:23
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【人間は変わらない】
あるきっかけがあり、この2年間の間に2回、千葉県我孫子市を歩きで見て回りました。
合計時間で言えば6時間程度ですがね。
手賀沼周辺の高台は眺望が良いです。
手賀沼を見下ろす形で家々が並んでいますが、その合間には古墳がいくつか散見されます。
どうやら高台の淵に沿う形で昔は多くの古墳が並んでいたようです。所謂古墳群です。
時代は下り、柔道の父と呼ばれている教育者としても有名な嘉納治五郎の別荘もこの高台にあったようで一年の半分をここで過ごしていたとか。
この人がきっかけにもなり志賀直哉ら文豪らも一時期我孫子に集うようになったとか。
歩いてみて殆ど初めてこの我孫子市の歴史を知ったわけですが…古墳の時代から約1500年。人間の美意識のようなものは全く変わらないのだなと。
「景色が良い」「自然が気持ち良い」「手賀沼サイコーうおおおおお」
この感覚は少なくとも1500年同じまま。だからあの場所に、我孫子市に延々と人々が定住し続けると。
そんな当たり前なことを私は千葉県我孫子市というまちを歩いてみて深く感じました。
未来に何を残すか。いや、何が残るのか。そのヒントの一つがここにありました。
タール団員T
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42:T
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2022/08/18 (Thu) 20:38:45
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【出会いと別れの多かった水泳という習い事のお話】
郷愁にふける時に決まって思い出すものがいくつかありますが,私の場合は幼少期にやっていた(やらされていた)習い事,特に約10年やっていた水泳やピアノでの思い出を思い出すことも多いです.
最近もある休みの日にボーっとしていたところに水泳をやっていた頃のことが蘇ってきたのですが,その中でこの歳になって今更新たに気づいたことがあります.
水泳は進級システムがあるのでまわりの人々の流動性が絶え間なくあり,出会いと別れがそれなりに多い習い事だったという点です.これは他の習い事や学校には中々ない環境だったということに気付きました.
私の場合は同じ学校に通う同級生らと稀に遭遇するようなことはありましたが,あまりプールでのクラスや時間帯が被るということはなかったです.なので普段の学校とは全く違うコミュニティに出入りしながら,その中で色んな出会いと別れを経験することとなりました.
思い出してみれば,妙に気の合った緑色のゴーグルを付けた同い年のアイツとも私が進級して先に進むことになり,別れることが決まった時には寂しい思いをしたものです.
早く進級して追いついてくれと願いもしましたがそれは結局叶わず.二度と同じクラスで泳ぐことはありませんでした.
その後一度だけフロアで遭遇し,「おい!T!」と声をかけられましたが最後に会った日からあまりにも間隔が空き過ぎてしまい,照れくさいというのもあり無視してしまったことが未だ大きな後悔となっています.
幼い俺なにやってんだと.彼には非常に申し訳なく,思い出すとなんだか鼻の奥がツンときてしまいます.
サッカーもやっている爽やかなやつであのような人間は学校でも,そしてその後の人生でもきっと人気者のまま今も順調に突っ走り続けていることでしょう.
…といった具合に一人挙げてもこうですからね.
出会いと別れという点で子どもながらに刺激的な日々を送ってはいたのかもしれない.その経験が今の自分にどう作用しているのかも分かりませんが,きっと形作っている何かしらに影響をもたらしているものとは思っています.
あのような一期一会にも近い出会いと別れ.一度は繋がり友情を育み,そしてそのままの関係性でその後は繋がることもない.繋がりたくても繋がれない.そのような少し特殊な友人達.
もう今となっては名前も分からない.顔も消えつつある.仮にどこかですれちがってもお互いに分からないでしょう.
いつも優しく接してくれた年上の先輩たち.妙に気の合った同い年のあいつらや可愛らしい女の子.年下の子たち.
挙げたら切りがありませんがそれだけの出会いがありました.
今や我々もいい歳.それぞれどのような人生を歩んでいるのだろう.どんなに気になっても学校の同窓生とは違いますからね.中々彼らの場合には会う機会も無いと考えれば寂しい気持ちにもなりますが,それでもこの世界のどこかで確かにそれぞれの人生を歩んでいるはずで,紛れもなく一度は出会った彼らの幸せを願わずにはいられない.そんな気持ちになるんですよね.
それら出会いは水泳という習い事から出てきた副産物的なものですが,そういうのものが多く得られる進級システムのある水泳という習い事は良かったなと. あのような経験を子どもが子どものうちに経験させる.別にしなくてもいいことだとも思いますが,経験させたらさせたでなんとなくプラスになることなのかなとは今思っています.まあ…乙ですよね.
ただ今はネットがありますからね.出会いに対して本当の意味での「別れ」は割合が壊れてきているとは思うので昔のような乙な感じにはならないのかもしれませんが繋がっておけるならそれに越したことはないと私は思うので現代っ子(漂う死語感)が羨ましいですね.
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41:T
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2022/08/14 (Sun) 16:12:47
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【盆】
お盆ということで個人的な話にはなりますが一筆.
昨年約20年ぶりに本家の伯父に会う機会がありました.
色んな事情や単純に親戚づきあいを怠っていたということもあり長らく会っていなかったのですが,
伯父に残された時間があまり多くはないかもしれない,既に死を覚悟しているということで
これはさすがに会っておかなければならないと本家にお邪魔しました.
着いたときには当然伯父は寝室で休んでいて
「さすがに病人を起こすのも違うだろう」「義理の伯母さんや従兄に久しぶりに挨拶することができたのでこれでいいだろう」と
邪魔にならないうちにさっさと去ろうとしているところに伯父が「どうもどうも」と言いながら普通に歩いてきたのです.
その時点で「え?」と正直思いましたが,その後も弱弱しい姿は一切なし.病人とは思えない振る舞いでありました.
ただ,我々もあまり長居して負担をかけてはいけないと軽く談笑した後,最後にご先祖様のお墓参りにいってそのまま帰ろうとしていたのですが,
伯父は我々がのんびりお墓参りに行っている間にもずっと椅子に座って我々が戻ってくるのを待ってくれていたのです.
我々としてはお墓参りに行っている間に伯父はまた床に就いているものと思っていたのでこれにはさすがに焦りました.
「気丈な振る舞い」とはああいう姿のことを言うのでしょう.それから確か3日後に伯父は亡くなってしまいました.
付き添っている伯母さんが買い出しに出ている間に誰も見ていない間に一人で逝ってしまったようです.
シャイな伯父らしい死に方だとは思っています.
ただ,本当ならば私としては長らく会っていなかった本家の伯父に「帰属意識は確かにここにある」ということを言葉で伝えたかったです.
最後に会った日のメインは当然兄弟である私の父親であるので中々それを伝えるタイミングを掴めなかったことが少々の心残りではあります.
ただ,これは本当に不思議なもので実は我々の兄弟皆が伯父が亡くなった時が分かったんですね.
無宗教且つ霊的なものは普段一切信じない質ですが,人生で初めて大変不思議な現象に遭遇しました.
胡散臭くなってしまうので詳細は省きますが,最後の最後に人は念みたいなものを発することができるのでしょうか.発することができたらそれは良いですよね.
残念ながら伯父に思いを言葉で伝えることはできませんでしたが,タスキを託されたような気持ちではあります.
「ああ世代が変わったのだな」と伯父の死をもって実感しました.
正直長らく会っていなかったということもあり,会うまでは針の筵状態になるのかとも思いましたが実際はどこまでいっても味方なのかなという安心感を伯父からはいただきました.
最後の最後に伯父に気丈な振る舞いを見せつけられたので私も引き継ぎたいところですが,できるかなあ.まだまだ自信のない自分ではあります.
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40:T
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2022/07/10 (Sun) 09:48:11
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【糧にする】
某メンバーの記事を見て、悩みましたがこれも一機会なのかなと思い。文を作るというのは難しいことなので語弊が生まれそうで少し怖いですが。
身近だった人が亡くなって、そのあと一年後とか二年後とかもその人を弔うことを目的に集まったりしますよね。
ある時の話ですが私もそういう場に参加しました。ただ、良い意味でそれなりの時間が経っているということもあり、故人を思い出しつつもその場でただ悲しんで終わりということではなく、「せっかく今日こうして集まっているのだから」といった具合になんというか前向きな未来思考的な会話が自然に生まれたことがありました。「今後俺たちはどう生きていくか」と。
集まりを終えた直後、駅に向かうわずかな道中で私はあるメンバーに「今日こういう場が生まれたのは彼が存在していたからだね。活かせたかな。」と言えば某メンバーは「糧にするって事ですね。」と応答してくれた記憶があります。
「そうか。糧にするとはこういうことなのか。」とそこで私はその言葉の真の意味を初めて理解した記憶があります。
残念ながらその人はもういない。でもその事実も全て引っ括めて残されている我々の人生の中に故人を生かしていく。
亡くなってからそれなりの月日が経ったような弔うことが目的の集まりのその意図するところは死者を悲しんでください的なものではないと思っています。残された誰かと誰かの集まる機会の提供が多分本当の意図するところと私は思っています。そうして集まった誰かと誰かが対話してより良く生きていくと。人は誰かと誰かが合わさることで文化を発展させてきましたからね。そしてそこに彼らの存在の証もあるんですね。そうしてそれが半永久的に紡がれていく。それが人なのかなと思っています。
タール団員T
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39:T
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2022/06/28 (Tue) 12:35:11
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【常識を疑う】
ここ数年でLGBTの話題が取り沙汰されるようになり、時代が少しずつ変わってきた印象がありますが私が子どもの頃はそれらは完全に異質なものとして扱われていた印象があります。
そういった環境下で育っていた私も当然、人間は男性と女性のみがパートナーになるものと思っていましたが、当時小学生の時の担任の先生が戦国時代の武将の間では男色が日常だったということを授業中にさりげなく教えてくれました。
当時子どもだった私にはそれまで暗黙的に常識として大人たちから教わってきたことが壊された瞬間だったのでとても衝撃的で、だからこそ今でもあの時のことを覚えているのでしょう。
「俺の常識は常識ではないのか。時代によって変わっていくものなのか。」
当時はまだまだ猿同然のガキでしたが、そんな私でもそのようなことを考えた記憶があります。
最近ふとあの時のことを思い出し、先生のさりげない教えが自分の一財産になっているのではないか。今の自分のモノゴトの対する考え方に影響を与えているのではないか。そして今この年齢だからこそ、大人になった今だからこそ今一度意識しなければならない考え方なのではないか。
そんなことを考えたりもしました。
今振り返ってみれば小学生に教えるにはデリケートな話題だったような気もしますが、知識を詰め込むことと並行してモノゴトの考え方、捉え方も教えるあの授業こそがまさに正しい本物の授業のあり方だったのではないかと思っております。先生には感謝しています。
そういえば高校時代の世界史の先生も最後の授業の日にいきなりとんでもない大声をあげて「俺がこれまで教えてきたことは全て信じるな!」と言って授業を締めていた思い出もあります(とんでもないボリュームだったので心臓が口から出るかと思いました)。
良い先生方に恵まれた学校時代だったなと思います。
私のような良い教育体験を得る子どもたちが一人でも多く出てくると良いなと思っています。
タール団員T
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38:T
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2022/06/26 (Sun) 19:20:52
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【継続】
ダンサーのラッキィ池田さんとSAMさんが「なぜダンスの世界で生き残れたのか?」という議題で議論した結果、才能や努力というよりかは「やめなかったこと」で意見が一致したという記事を最近見かけました。
形はどうであれ継続という意味では我々タール団の歴史も20年を既に超えています。
妙に響いてくるものがありました。好きで馬鹿やっていることでも紆余曲折ありましたし、なんなら進行形であるような気がしますが笑、なんにせよ確かにやめてないから俺たちまだここにいると。
この至極当たり前なことのような気がすることを今後も忘れずに歩んでいければと思っております。シンプルイズベスト。
さて、少年たちの秘密基地制作グループが20年超超えてくると一体どうなるのか。
「日本を良くするためにはどうしたらいいのか。最近そんなことをよく考えている。」
今朝のオンライン会議ではそのような言葉が出てきました。
近年この年齢になったからこそ見えてくるものもあったりして抱えていた、蓄積されていた思いが改めて吐露されたといったところです。
映画スタンドバイミーの冒頭ナレーション的に言えば昔の鰭ケ崎小学校時代には学校周辺部がタール団的に世界のすべてに等しかったわけですが、今となってはなんとなくとはいえ国のことを考えるまでになったというのは随分と住む世界が広がったのだなあと上記の言葉から改めて実感しました。これがどうやら20年を経た結果のようです。成長というやつですか。おっさんになったと言い換えることもできそうです。いやいや、経年優化ということで。
我々は今後も相変わらず“遊ぶ”という目的の達成を大前提としていくわけですが、「日本の改善」このことも頭の片隅におきつつ改めて遊んでいきたいと思っています。
SAMさんらのようにやめずに継続し続けていればそこに貢献できなくはないだろうと既に信じています。
タール団員T
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37:T
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2022/06/18 (Sat) 10:57:27
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【頑張る懐かしき同級生】
先日のある夜に地元流山のセブンイレブンでツナマヨのおにぎりを一個買ってゴミ箱の前で包装を開封してる最中、後から今時のお洒落な若者風な雰囲気の男の子たちが店から出てきました。
その瞬間は私の視野の中に入り込んでいる程度で、あくまでも私はおにぎり包装の開封に集中していました(開封が下手くそで毎回海苔がビリっビリになりがちなのです)。
ただ、途中で妙な違和感を覚えました。若者グループの方からじんわりとした視線を感じるような(あれ不思議な感覚ですよね)。
「なんか俺変かな?」
「確かにいい歳こいたオッサンがコンビニの外で買ってすぐのおにぎり開封は品性に欠けるかもしれないな。」
そんなことを考えている間に私の後ろをそのグループは過ぎ去っていきました。
その彼らの背をツナマヨおにぎり片手の私が今度は眺めるターン。うーむ。暗くてわからない。
彼らは最終的に閉店した後だったと思われるあるお店へと入っていきました。そのお店の従業員さん方だったようです。
その後私はあの違和感がどうも気になったのでネットで検索してみればどうやらそのお店のボスが懐かしき私の同級生だったようで。
当時彼は学年の中でも一目置かれるカリスマ的な人間の一人でした。私は同じクラスになったりすることはなかったので接点はあまりなかったですが廊下等ですれ違う際には気まぐれでお互いに挨拶ぐらいはしていた記憶はあります。
懐かしい。セブンイレブンですれ違ったあのグループの中に彼がいたのかもしれません。
「こいつあいつか?あいつか?」
と確認してたのかもしれない。或いは全くそんなことはなかったのかもわかりません。それでもあの時のあの妙な感覚は不思議なものでした。
やっぱり頑張ってる同級生の存在を改めて確認できると嬉しいもんですね。
私も頑張ろう。そんなことを思えた出来事でした。縁があればまたどこかで会えたりしたら面白いですね。
一同級生として今後の彼の更なる活躍を心から願うばかり、願わずにはいられない。そんなところですね。
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36:T
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2022/06/17 (Fri) 10:40:45
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2022/06/17朝3時台
こんな時間に目が覚めてしまったのでネットを開いてみれば某メンバーが長らく放置していたブログを更新していることに気づきました。http://darubun.blog.fc2.com/
更新間隔の開きようが半端ないですね。笑
さて、今回彼が記した文章の中にこのような一文がありました。
“出来るのならば、自分の子供たちに、この身に詰めた情報を余すことなく分け与えたい。”
感動してしまいました。改めて彼も父親なんだなと。
親が子に直接こういうことを面と向かって言う機会ってのも生涯のうちでも中々無いとは思うんで、まだ幼い彼の子らがいつか大人になった時にこの一文に触れることがあればいいなと思っています。何があっても前向いて生きていけるでしょ。こんな親の思いを知ったならばね。
とりあえず私の方からは「こんな良い親父を持っている君らは既に人生勝ち組のようなもんだぜ」とは言いたい。
タール団員T
#タール団 #親子 #ブログ #ダールナイトニッポン
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35:T
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2022/01/02 (Sun) 01:30:53
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【2021→2022】
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
2021年の1年間、自分にとってどういう一年だったのか年が明けて今改めて考えていますが、
自分とはなんなのか、自分が今後どのように生きていくべきなのか、
関わってくださった皆様によってそういったことを知れたというか、思い出せたというかそういう一年だったのかなと思っております。
タール団という基地もそうでした。基地に日々通う中で自分という人間をより鮮明に知ることができました。
変わらず日々遊んでくれる、繋がっている全ての仲間たちやそのご家族らには心から感謝しております。
今年の個人的な目標はあらゆる所で目に見えてわかる結果を出すことかな。今日一日考えて今そう思っています。
タール団員としてももちろん。基地にとんでもなく良い素材を持ってこれるようにしたいですね笑
とはいえそれも日々の地道な積み重ねあってのことだとも思いますのでまた一年遊び倒せればと思っています。
話が飛ぶようですが数年前のこの時期に静岡県のさわやかハンバーグというお店に行きました。
大人気店で店舗によっては数時間待たないといけないぐらいのお店で、その時も数時間待ってやっと入店できたのですが、
隣の席にスキンヘッドにグラサン、金のネックレス、黒服というどっかで見たことがあるようなとんでもなく厳つい風貌のオッサンと女性のあれはカップルだったのかな?が着席していました。
まだコロナのコの字もない時代。中々そのオッサンと私の距離が近かったので最初は
「せっかく遠くまで来て数時間並んだのに、このクソ怖いオッサンに恐怖しながら緊張しながら食べないといけないのか」
と落ち込んだのですが、そのオッサン、めちゃくちゃ店員さんに対して低姿勢だったんですね。
「あ、ありがとうございます!」
「お願いします!」
その辺のへたな一般人より物腰柔らか。
おそらくオッサンはその日がさわやかの利用が初めてだったようで感動するように終始「うまいうまい」言いながらハンバーグを食べていました。
最後は同席していたサバサバとした感じの女性から「奢ってよ」と軽く言われて「うん、いいよー」とその返事も優しそうな柔らかな返事の仕方で、
風貌と中身のとんでもないギャップ差が大変面白く、また見ていて気持ちが良かった思い出があります。
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34:T
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2021/08/03 (Tue) 01:42:41
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【画に狂った老人】
個人的に世界で一番有名な日本人と思っている葛飾北斎。
彼が生み出した全15巻だっけ?からなる北斎漫画は元々連載の予定はなく,要は彼が好き好んで描いていた1巻にあたるものが今でいう出版社的に「こいつは一儲けできる」と判断して北斎の描きたい欲ともマッチして結果15巻まで出たらしいです.
この他にも北斎の作品には似たようなケースがあり,有名な富嶽三十六景も36と称しながら46作品あります.大幅オーバーです.
話は突然変わるようですが先日のzoom中,某メンバーから「今週なんか楽しいことあった?」と聞かれました.
4,5年くらい前からだと思いますが,会うたびにそれを聞かれます.
結構便利な質問だとは思うんですよね.質問相手の今の状態(単純に上機嫌か不機嫌かだとか)を推し量ることもできそうですし,単純に友人の近況を知る,また,おもしろい情報に触れることもできそうです.色んなことを兼ねた一発の質問だと思います.
タモリさんの「髪切った?」に通じると思います.
こちらはこちらでいつも飛んでくる質問ながら全く何も構えていないので,いざその質問が飛んでくると毎回どぎまぎするというお決まりの流れです.
皆さんと同様に私も日々悩みながら,苦しみながら生きている側面も多分あるのかもしれませんが(正直言うとあんまりそんな気はしない),楽しく過ごせている自負があります.でもいざ聞かれると「なんかあったっけ」となります.
より説明すると「なんかなんかあったはずなんだ.でも思い出せない.なんかあったっけ」という感じですかね.
もしかしたら話すに足らない楽しいことが細かくあったのかもしれませんが,そういうのも含めてやっぱり「忘れちまうなあ」ということを改めて実感しました.楽しかった感覚だけが残っていて具体的に何が楽しかったのかはスルッと出てこない.
なのでこういう場に定期的に書きなぐることで,書きなぐろうとすることで色々面白かったこと,楽しかったことを思い出そうとする機会にもなり,いいのかなって思い始めています.
元々ここに私の文章を記していくイメージは我々の秘密基地の柱に落書きをするようなイメージだったのですが,最近では仲間内でZOOMをやっており,その中で発表をやったりしていて言ってみれば落書きの上位互換のような存在…これまたイメージで例えると秘密基地内にある本棚に各々が作成した簡単な情報ノートのようなものを並べていっているイメージですかね.言い換えれば簡単なデータベースを作ろうとしています.
そういった活動を行っていたものですから,ちょっと最近までは落書きしている余裕なんぞなかったのですが,某メンバーからの「今週なんか楽しいことあった?」という質問がきっかけで「案外落書きできそうか」ということに”気付けた”と表現することもできそうです.
とはいえ頻度は変わらないのかもしれません.ただ,スタンスはあくまで「書こう」にまた切り替わった感じです.書くスタンスでいることでZOOMの発表とはまた別に記憶の脳内整理ができそうだということですね.
今我々タール団というのは外界と遮断されがちだとも思うのでここの更新で数少ない外界との接地面も兼ねれたらいいのかなとも思っております.
冒頭の北斎のようになんとなく好きでやっていた行動が案外思わぬ面白いことに繋がったりもするんですよね.それは”なんとなく好きでやっていたからこそ”というところもあると思っています.
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33:T
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2021/07/23 (Fri) 11:32:32
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【夏休みの思い出】
“瞑想すると忘れかけていた幼い頃の記憶が蘇ってきたりする”というような情報をいつか見たことがありましたが,私の場合は夜歩いていたりするとそういう傾向にあるような気がしています.
最近も時期が時期ということもあり,ふと少年時代の夏休みのある思い出が蘇ったので今回はそれについてを記しておきます.
毎年の夏休みには私は母方の実家,おばあちゃんの家に遊びに行っていました.地方の小さな城下町中心部から少し外れた田舎です.
おばあちゃん家の目の前には私の母親の母校でもある小さな小学校がありました.そこに当然私の従兄らも当時通っていて(ここ数年で廃校してしまったそうですが),夏の風物詩とも言えるラジオ体操を行う場所もそこの校庭でした.
私は地元nagareyamaのラジオ体操も母親の強制により参加しておりましたが,こちらはどちらかというと大人たちが管理してくれているラジオ体操といった印象でした.
大人たちがマイクにラジオ体操の放送を繋いでくれて,そして前に手本となるなんだか雰囲気のある貫禄のある強面なおじいちゃんやおばあちゃん方が立っていて,多くの私含めた子供たち或いは一緒に参加されていた親御さんらは彼等を真似てラジオ体操を行っていくわけです.
そして最後は大人たちがラジオ体操出席カードにスタンプをおしてくれてその日のラジオ体操を終えるわけです.学校で見たことのある年上の先輩や後輩らがいたり,近所の方もいたりでそれなりに活気のある賑やかな時間ではありました.私の地元ではこのような形でした.
ただ,私の従兄らが参加していたラジオ体操は全く違いました.
「ラジオ体操いってこい!」と,おじさんに叩き起こされて校庭に行くとラジカセを持った少年らが3,4人いる程度.そこに従兄らや私たち兄弟を加えても10人はいってなかったですね.
そして当番なのかラジカセを持った代表者の少年がカセットに録音したラジオ体操を流し出すもすぐに早送りし出しました.
いつも大人たちにやってもらっている外部の人間の私は「え?」と思いましたが,地元勢である従兄らは至って通常営業といった雰囲気.
今の若い子たちは分からないでしょうがカセットを再生中,少し早送りすると音声がおかしくなるんですね.それを皆で聞いてただ馬鹿笑いして終了.スタンプ係の代表者の子は出席カードを持っていない外部の人間の私には手にそれを押してくれました.
そんなことをふと思い出したわけです.従兄らが参加していたラジオ体操は自治ですね.少年らのみで構成されていたラジオ体操は体操そのものは最早成立してはいませんでしたが,そんな彼らの文化は今思い出してみても笑えてしまいます.適当にもほどがあるだろと笑
でもまあそれはただツッコミを入れたくなるというだけで私がここで言いたいのはどっちが良いとかどっちが悪いとかそういうことではないんですね.どっちも良かったと.ラジオ体操という同じ括りの中でも全くちがう文化に少年時代に触れることができたことはこれは貴重な体験だったのではないかと今振り返ってみると思います。
あの二つのラジオ体操の思い出がその後の自分にどのような影響をもたらしたのか、或いは今後の人生で何か出てくるのか。一つ一つの思い出は消えていきがちなものではありますが、それでも今日の自分を構成している一要素ではありますから改めて一つ大事な面白い夏の思い出として自分の中に置いておきたいと思っています。
現在、コロナを通して地方移住もそうですが2拠点生活というのもトレンドになりつつあるそうです。平日と休日で別の場所で過ごすということですね。コロナとの兼ね合いがありますが、やはり別の文化圏に行くことで面白い発見や刺激などがあるということなのでしょう。
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32:T
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2021/06/30 (Wed) 12:28:02
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【本末転倒とは】
最近、昭和の喜劇王と言われる古川ロッパさんに関する記事を読んで軽く衝撃を受けたのでここに記しておきます。
私は恥ずかしながら古川ロッパさんという方の存在を初めて知ったのですが、戦前戦中に人気を博した方らしく、世代的には私より2、3代前位の方がドンピシャということになりそうです。
この方は隙あらば日記のメモを書いて結果的に膨大な量の日記を残したそうなんですが、彼にとっての日記の位置付けが凄まじいんですね。
「俺は日記をつけるために生きている。日記のための人生」
そう言い放っているらしいです。
凄いと思いませんか。一般常識的には「本末転倒」という言葉で片付けてしまいそうです。でも彼はそこを超越し、自由に生きたんですね。
色んな生き方があるんだなあ、色んな生き方をしてもいいのだなあと改めて思いました。
いつの間にか枠に囚われがちなのが人と思いますが、それぞれにとって不要な枠もあるかもしれません。そういうものは極力取り除いて、衝動のままにやりたいことをやれる本当の意味で自由な人生でありたいですよね。
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31:T
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2021/05/23 (Sun) 13:36:39
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【たまには書こう】
某動画でも軽く話しましたが,最近は有難いことにタール団という我々の遊び場,基地でおそらくコロナ以前よりも少なくとも私はアウトプットする機会が増えたように思います.
コロナを経てある程度身内でのオンラインの使い方が以前よりかは上手くなったということもあるでしょうし,まあ私はやけくそで排出している部分もあると思います.
やっぱりもうやけくそに動きながらじゃないと次の一手が出ないんですね.
例えると火に薪をくべる作業といったところでしょうか.常に燃料を追加し続けないと炎ってのは燃え続けられない.
別に消えてしまったところでいくらでも復活はできるでしょうが (だって死ぬわけじゃないし)そうはいえまた0から火をつけるってのは結構なエネルギーが必要で面倒ですね.コスパが悪いと言えます.
そんなわけでまあ時間があればもう薪をくべております.今こうしてここに文を刻んでいるのもとりあえず薪をくべているということになります.
ただ,結構重要なのはこの薪をくべるという作業にも実はそれなりのパワーが必要だと思います.この力が以前の若かった頃の我々を思い出してみると今ほどは無かったと思います.
この今の状況下で例えば我々がもう5年~10年若かったらただただ足止めを食らっていたんじゃないんですかね.
昔に無く,今あるそのパワーとは知識や経験なんですね.これが薪をくべる動力源になっているように感じます.
我々もそれなりの年齢になってきてもうオッサンです.ただ,そこを悲観する必要はないんですね.知識や経験が個人差はあれど蓄積されてきているからです.だからこそ「ほいっ」と薪を火中に投げることができるわけです.
そういう意味ではきっと進化している.…と信じたい笑
私が勝手に思っていることはその薪をくべる作業をひたすらに行い,とにかく流動性を生むことです.流動性が結果的にエンジンを動かす動力になりそうじゃないですか.
とにかく動き続けていれば私個人としてもそうですし,仲間らも,その外に広がる世界にも何かポジティブなものが波及すると信じております.それはタール団云々関係なしにですね.
新陳代謝っていうのがなんとなくこれを書きながら今の自分の一テーマになっている気がするなと思いました.ただただ燃やす或いは流す.そうすりゃ腐ることはなかろう.
今週漫画ベルセルクの作者、三浦先生がお亡くなりになったニュースを見ました.まだ50代前半.
私は熱心な読者というわけではありませんが、一応「狂戦士の甲冑」を手に入れた辺りまでは読んだことがあるので大変ショッキングなニュースでした.
未完の大作が生まれてしまったわけです.
そういうのを目にして改めて思います.私は残りの人生でどれだけ遊ぶことができるか,どこまでいって果たしてどの程度それにけりをつけられるのかと.
使命といったら大袈裟ですが,そういうものを改めて考える機会にもなりましたし,また,まわりの人たちにもそれぞれある使命を全うしていくその様を極力長く見ていきたいと思いました.
つまりは健康に長生きしたいということです.
後悔なく,長生きする人生.
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30:タール団某
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2021/03/22 (Mon) 11:52:39
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【理解できない謎の校則】
某メンバーの仕事関連から“ブラック校則”というワードを見かけた。
そこから思い出したある昔の出来事があるので一つここに記しておきたい。
遥か昔の懐かしき南流山中学校時代の話だ。
当時のタール団の副リーダーがどちらかというと着ている制服やジャージを着崩すスタイルだった。
ジャージの場合は専ら上ジャージのチャックを全開にしていた。
私はそんな彼を見て「そっちがそうすんなら俺は逆に上ジャージのチャックを全締めでいってやるわ」という謎の対抗心を実は内内で発揮させていた。
以降の私のスタイルは基本全締めスタイルとなっていたが、少し経ってから学校側から「チャックの全開は当然禁止だが、全締めもダメだ」というルールが適用された。
全開はなんとなくだらしがなく見えるから禁止にしようすることはわかる。
しかし全締めも禁止にするとはいったい。全くもって理解することができなかった。
当時の私は学校側のその理由無しの謎のルールにブチギレそうになったが大人になった今でもあれはただただ疑問である。
校則、ルールが大事なことはわかる。
人間は群れの生き物、群れ社会だ。ある程度の協調性は生きていく上で必須であり、ああいうものがそういったものを養う部分もあるだろう。
それでもだ。「しかしだな」と私は言いたい。
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29:タール団員
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2021/02/12 (Fri) 18:59:50
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【現実】
人がどう生きるか.生きることができるか.
そこに影響を及ぼす親の影響度はあまりにも大きすぎるものだとこの年齢になって痛感しています.
もちろんそいつ自身がどのように生きるかという”ボタン”は本人にしか押すことはできないです.それでもどのボタンを選ぶのか,そもそも押すのか押さないのか.その判断をするにあたっての親の影響度ですね.
両親を選ぶことはできません.どういう親の下で生まれようがそこで生まれたならその環境でまずは自動的に大きくなっていかねばなりません.
その時点で世の不平等さがあります.
人も動物です.弱肉強食の世界に生きている.
そういう現実がある.それを今この年齢になって突き付けられているように思います.
ただ,あまりにも救いがない気がしてしまい,それはただただ残念無念な思いです.
顔を知っている例えば身近な友達が不遇な立場に,そういう境遇にあるならば正直しんどいです.でも結局友達としてできることなんてたかが知れています.
最後はもうそいつ自身が自分の足で人生を歩んでいくしかない.これは皆がみんなそうです.いつか必ずやってくる死.それが避けられないことと同じようなものだと思っています.
今あなたが悩みを抱えながらも,うまくいかないことがいくつかあっても,なんとなく成長しながらそれなりに生きることができているのなら,実の親から引き継いだ能力や,自分を育ててくれた親或いはそのような存在に感謝せねばなりません.それは本当に幸運と言えるものです.こんなことは言うまでも無いことなんですがね.
そしてその連鎖をどういう形であれ次の世代へとまた繋げていけたらそれは幸運な人類がまた増えたということになりますからきっと良いことなんじゃないかな.そんなことを思ったりはします.
もし自分のまわりに不遇な立場にある友達がいて,そいつが迷走しているならばどうすべきか.
繰り返しにはなりますが友達としてできることなんてたかが知れてはいます.
それでも友達ならば正しい自分で接してあげる.それが唯一できることなんじゃないかなと思っています.
決別する覚悟と余裕を持って.
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28:タール団某
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2021/01/24 (Sun) 13:48:10
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【基地思想】
もう何年も前のことですが一つ忘れられない出来事というか感覚があるので今回はそれに関することを記しておこうと思います。
某メンバーの結婚式の日の話です。
私は某メンバーFと共に会場入りしました。あの頃はまだまだ若かったということもあり、その特殊な環境にどこか怯んでいたところもあったと思います。
どの式に参加しても感じることですが式場ってやはり異質なんですよね。ご結婚されるお二人に関係する各方面の人々が一堂に会する場であるわけです。
お二人にとっては顔馴染みの面々でも参加者らからすればそこにいる人間の大半は知らない人間ばかり。
そういう人間らが集って「2人の門出を祝う」という共通の目的を持って一つのプロジェクトを完遂しようとするわけですからなんとなく探り合いみたいなものもある気がするんですよね。
「あいつはなんなんだ。結婚する奴とどういう関係性の人間だ」といった具合に。
そんなわけで独特なムードというか多少の緊張感みたいなものはあるように思います。
そういう中で会場で会うよく知る仲間の顔を見た時の安心感ですよ。
あの時は私の場合は隣にFがいるにもかかわらずそれでもまだどこか不安で、その中で数十メートル離れたところにいた某メンバーHの姿を確認した時ですよ。
「おお!おお!」
と、向こうもほぼ同時に我々に気づいてお互いに片腕をそれなりに力強く挙げて「俺はここにいる俺はここにいる!うおうぎゃああああ(※イメージです)」といった具合に信号を放ち、めでたく合流を果たしたというわけです笑。
あの時の、あのHの姿を確認できた時のなんとも言えない安心感、安堵感と言えばいいんですかね。
「俺のホームだ!」という感じの。
皆さんにも多かれ少なかれ似たような経験があるんじゃないかなと思うんですが、あの感覚、あの感じはこのタール団という場に於いても面々に提供できるように、大事にしていきたいものと思っております。
組織集団というのは発展のためにはどうやら常に多様性、新しい血、新陳代謝を求めていかなければならない習性にあるようです。単純に国単位で見てもそうですよね。人が増えりゃ経済も盛り上がる。そういう法則のようなものがあっちゃうわけです。
ただ、それを追求することは刺激から生まれてくる緊張感のようなものも伴ってくるように思うんですよね。
それは上記の安堵感とは真逆のものと思います。
もちろん緊張感というのは必須と思います。私自身この団体でもそういうもののある種恩恵を経験してきました。これまでテキトーにやってきた部分もあったもしれない笑 そんなんでもそういうものを新しい仲間らが携えてきてくれたからこその20年を超えた団体の歴史とは思います。
ただ、私はこの今の「多様性」だとかを連呼される時代にあって、だからこそ逆に適度な、あの日の結婚式の日に感じた安堵感。そういうものも絶対的にあるホーム感というか…正しく我々の基地ですよね。
オープンだけれどもクローズドな感じもある。
ホームなんだけれども刺激や緊張感もある。
絶妙なバランスでそういう矛盾したものを持つ…両刀遣い。はい、ここでもお馴染みエスタークの登場です(以前の記事でも登場しました)。
そういう団体にしていくことが大事なのかなと。言い換えればこれまで通りやっていくだけというか。より良くやっていくというか。元々あった文化のようなものを今改めて大事にしていきたいなと感じています。
いや、常に新陳代謝が行われている組織集団はやはり物凄い強さで勢いがとんでもないんですけどね。純粋にリスペクト。我々もその部分を強化していかなければならないんですがね。
でも色んな組織集団があるわけで我々には我々の正解があると考えております。そこを突っ走っていけば本当の意味での唯一無二。さらに楽しい領域が広がっていると思います。せっかくのタール団という存在なわけですから色んなものに対してリスペクト心を持って良いものは吸収していきつつ、それらをブレンドして独自の方向に突っ走っていくべきでしょう。
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27:タール団某
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2021/01/13 (Wed) 12:05:55
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【永平寺で感じたこと】
昨年ひょんなことから福井県の永平寺に行ってきました。
日本曹洞宗の大本山であります。
ちなみに言っておきますが私は曹洞宗を信仰している人間とかではないです。無縁です。というか私は無信仰無宗教者であります。厳密には名字や家紋等と同様に先祖から自動的に引き継いでいる宗派“真言宗”に属していることにはなっていますがね。まあ興味とかはない人間です。(タール団に属している者は基本みんな私と同様と思います)
そんな私ですから永平寺にも行く前までは「永平寺?あー?聞いたことはあるかもなー?(完全なる無教養者)」程度の認識具合でした。
行って初めてなんとなく「道元が中国から持ってきて始めた宗教」だという概要は把握しました。
まあその認識も全部私流の把握なので厳密には間違っているのかもしれませんが笑
そんな私流の把握から思ったことを今回は一つ。
道元。彼は貴族系出身者ですね。
ただ、彼は若くして両親を亡くしています。
その後、彼は世の不条理を思い、出家したらしいです。
こんなこと言ったら怒られそうですが私は彼は現代風に言うとグレたようなものなんじゃないかと思っています。
仏陀と同じ方向というか。仏陀だって一族の観点からしたら不良みたいなものだと思いますよ。彼も王族出身。というか王位を継いでそれを全うしなければならない立場だったにも関わらず仕事も家族も全て途中で放棄して全く違う方向に行ってしまったわけですからね。
一族からしたら「おいお前何してんだ!」と言いたくなると思います。ただ、ブッダはブッダで生まれて間も無い頃に母を亡くしているらしいですからね。時代も国も全く違いますが、ブッダと道元は似たような境遇なんですね。
ーここではあくまで道元の話。
道元には境遇もあってやり場のない怨念にも近いものがあったんじゃないかと私は思います。
ただ、その結果が今日の「道元」なんですよ。
私は敢えて「グレた」という変な表現を使いましたが、彼は怨念をパワーにして結果宗教人として人々に教えを説くまでの、日本の歴史に刻まれるまでの人物になったわけですね。
おそらく元々生まれた家で既定路線的に家を守ったところで彼は何者にもならなかったんじゃないでしょうか。
私は具体的に彼の教えを知っているとかそういうわけではないですが、やはり大本山に行けば道元という存在感が押し寄せてくるようなおもいがしました。
それは霊的な話とかじゃないですよ笑
圧倒的な彼の存在と彼の存在・教えを時空を超えて人々に伝えていこうではないかという数百年紡いできた大勢の人々のエネルギーが立派なお寺という一つの形になってそこに未だあるものですからね。
だからこそそんな彼には一体何が見えていたのか。人としてどのくらいの領域にまで到達したのか。大変興味を持ちました。
「俺僧にでもなるかな。肝が座ってそうでかっけえじゃん」
と、昔高校時代のクラスメートがある時何気なく私にそんなことを言ってきましたが(なんちゅう安易な発想だとは思いますが若者らしいといえばらしいですね笑)その言葉を思い出したりもしましたね。
「確かに何かを極めようとする或いは極めた人間はかっけえわな」と。
他にも宗派は沢山ありますね。
真言宗で言えば空海、天台宗の最澄などなど。
アフガニスタンで犠牲になってしまった中村医師が大事にしていたという最澄の言葉も私はこの宗派の違う永平寺に行くことで改めて思い出したりもしましたね。
「一隅を照らす者、これ、国の宝なり」
正しく珠玉の言葉ですね。響いてくるものがあります。なるほどと思える言葉であります。1000年を越えて今にも通じる言葉を残しているわけですからこれは凄まじいです。
一体どんな生き方をしたらこのような言葉が出てくるようになるのか。最澄という人物もまた一体何が見えていたのか。
さまざまな宗派があります。それぞれの開祖はそれ相応の人物だったことはまず間違いはないでしょう。
私はそんな彼らに見えていたもの、彼らが到達した領域を永平寺という場所に訪れたことで今強く興味を持っています。
リスペクトですね。ただただリスペクト。
ただ、だからと言って別にどこかに入信するつもりはないですね。
「俺は俺教」と昔某メンバーが言ってましたが、まあ私もおんなじです笑
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26:タール団某
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2021/01/09 (Sat) 22:06:57
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【冷めた視点】
客観性。これが私にはまだまだまだまだ×1000足りていないと痛感しております。
この力が欲しいと日々試行錯誤しておりますが皆さんはどうでしょうか。ある意味これがあると強いですよね。使いようによっては無双できると思います。
やはり今事を成しているような少し年上の方々の客観性は凄まじいものがあります。勝負ではないですが、そういう尊敬できる彼らを超えていきたいですよね。
日々の試行錯誤の中で最近思うことは身内ながら私が幼い頃の母は客観性というか冷静さという意味では中々のものだったのではないかと思っております。
どこかの遊び場で遊んでいる幼い私と他にも複数人遊んでいる子たちがいたようですが、容姿を比較して「うちの子は下から二番目だな」と思ったそうです。
どう見ても他の子たちはみんな垢抜けている。うちの子は全くそんなことはない。
このことは当時母の姉、私からすると叔母にも話したそうです。
こちらとしては「うるせえよ」と言いたくなりますが笑
…一応言っておきますがだからといって親としての愛情がなかったわけではないです笑
それとこれとは話が違いますよね。
盲目的にならずどこか冷めている。冷めているというとあれですがまあ冷静と言い換えることはできるでしょう。
私は今全てにおいて常にその子育て中だった当時の母のようなスタンスを目指しています。未熟ですが精進してまいります。
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25:タール団某
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2021/01/04 (Mon) 12:30:06
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【青天を衝け...たのは出会いのおかげ】
昨今「多様性」とやたら連呼されているように思いますが、ここで一つそのトレンドに乗っかる形であるお話を手短に(単純に詳細を忘れたので手短にせざるを得ないわけです笑)しておきたいと思います。
今年の大河ドラマの「青天を衝け」の主人公でも話題の渋沢栄一です。これからお札にもなりますね。
この方は元々確か埼玉の農家だったか社会的に見たら身分が決して高くはないところの出身なんですが、人生が大きく変わったポイントの一つが、水戸藩出身で江戸幕府最後の将軍としても有名な徳川慶喜との出会いであると思います。
まだ彼らが出会った当時は慶喜は将軍にはなっていなかったですが、そうは言っても徳川御三家の一門水戸藩の跡取ですからね。江戸幕府初代将軍徳川家康の血を引くデカい地方の王子みたいなもんですね(結果水戸から出向して将軍になるんですが)。
そんな大物に紆余曲折を経て渋沢栄一は慶喜に会う機会を得ました。
そもそも身分が違い過ぎるのに何故謁見することができたか。
当時慶喜公は名君を気取っていたとの説があり、確か貞観政要だったかな?家康も読んでいたとの説がある中国発の帝王学を慶喜も読んでそれを実践していたらしいです。
私も貞観政要の内容詳細までは把握していませんが私流の言葉でめちゃくちゃ簡単にまとめてしまうと「名君になりたければ、あらゆる人々の話をしっかり聞けよ」という内容です。
歴史の厚い中国ですから過去の例えば暴走した王の歴史等を省みながら記されている説得力ある内容となっています。
慶喜はそれを読んで気取っていた。気取っていたというと悪い表現になりますが、言い換えると立派なお偉いさんになろうと努めていたとも言えると思います。
そんな慶喜だからこそ、わけわからんどこから湧いてきたのかもよくわからない男との謁見も試行錯誤の中ではあったとは思いますが行われたというわけです。
とはいえその謁見の時の慶喜はあまり雰囲気は良くなかったらしいですけどね笑 渋沢栄一のある訴えに対してただ無言で、ほぼ無反応で聞いていただけだったとか。わかんないですけどね。クールだったから結果そんな雰囲気になってしまっただけなのかもしれませんが。
それでも全てはそこから始まって、その次の慶喜の取り巻きですね。
この当時の水戸藩は大変大らかな要素があったんじゃないかと個人的に思っているのですが、何者でもなかった渋沢栄一を思い切って水戸藩に入れて、結果「お前が思った通りにどんどんやれ」と藩でのあらゆる仕事を任せていったとか。
渋沢の頭角が出てきたのはこの頃からでしょう。
この後のことは思い切り省いてしまいますが、渋沢に仕事を任せた結果、当時水戸藩も活性化して盛り上がる結果となり、渋沢自身は明治維新後さらに活躍し、ありとあらゆる機関、企業を作り上げて今となっては「日本資本主義の父」という大人物になりました。
徳川慶喜は立場上、明治維新でいうと逆賊になってしまいますが、彼がその後も殺されることなく生きることができたこと、そして今日の名誉といえばいいでしょうか。それらが支えられてきた一要因は渋沢の影響も大きいと思います。
そりゃそうです。渋沢からすれば慶喜は恩人。
渋沢のお墓は確か慶喜のお墓の方を向いているとかってのも聞いたことがあるような…。
すいません。なんだかんだで長くなってしまいましたが要は何が言いたいかというと、元々出会うはずのなかった2人が出会ったことによって化学反応が起き、WIN-WINの関係、大き過ぎる結果が生み出されたということです。
正しくこれは多様性にも通ずる話ではないでしょうか。多様性、新しい血。
歴史を紐解けば現代にも通じる何かがあります。ちなみに渋沢栄一は結構スケベではあったらしいです。
※歴史なのであくまで話半分で一説です
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24:タール団某
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2021/01/03 (Sun) 00:22:16
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【経営者ならそんなところで群れている暇があったら自分の仕事で結果を出して少しでも多く税金を納めるのが務め】
ここ数日、遥か昔となってしまった中学時代の卒業間際の頃のことだったと思いますがある何気ない出来事が思い出されています。
某メンバーN、某メンバーFと共に流鉄沿いを自転車で漕いで確か流山のビバホームに向かっていました。その頃某メンバーNが熱帯魚を飼い始めた時期で水槽用具を一緒に見に行くとかそんな理由でビバホームに向かっていたのだったと思います。
その道中で確か某メンバーFだったと思いますがいきなり「3人で亀飼おうぜ」と提案してきました。
内心「どこでどのようにして共同で飼うんだ。これから高校もバラバラになっちまうし」とは思ったのですが、一方で「めちゃくちゃ面白そうだな」という衝動もあり、「飼おう」と即返事をしてしまった記憶があります。
その後結局その提案が実行に移されることはなかったのですが、あの時の感覚は私が今もタール団で遊んでいる理由と同じなんじゃないかなと思っています。
その先に何かがある気がするんですよね。仲間と遊んだ先に何かが。ワクワクする未知の領域が広がっているというか。とてつもない何かというか。思わぬものというか。偉大なものというか。そういうものが必ず待っている。
そんな感覚があるんですね。
だから私にとっては遊ばない理由が無いというか、もうやるしかないんですよ。遊び続けること。もうこれを追求せざるを得ない。
誰かに「おまえ何やってるん」と言われてもここはもう微動だにしない、できないです。そういう状態なんですね。「お前次遊んだら命落とすぞ」言われたら流石に踏み止まるかもしれませんが笑
月光会という各業界の錚々たる顔触れが集っていた昔のイギリス発の結社があります。
産業革命期に彼らはお互いの情報を交換しながらそれらを自分の仕事等に活かして結果地域発展等に大きく寄与したとの説があります。まあ本当に今となっては豪華すぎる各々歴史上に残る面々です。
そんな月光会も始めた理由って元々そんな壮大で具体的な意図があったとは思えないんですよね。表向きはなんかそれっぽいものがあったのかもしれませんが実態は「まあ集まろうや。なんか楽しそうだし。」とかそんな単純な理由だったんじゃないかなと私は勝手に思っています。
それでもなんかすごい結果が出ていた。
遊んだ先、楽しさの先に何かがある。
少なくとも私には、私の人生にはそういうものがある気がしています。他の人がどうなのかはわかりません。一応言っておきますがどっちが凄いとか凄くないとか、良いとか悪いとかそういうことではないですよ。私はまだ何も証明もしていないし、仮に証明できたところで自分の経験で語りがちなおっさんにはなりたくもない。生き方なんて三者三様。時代にもよる。常に全てが変わっていく世の中ですから。
話が少し脱線しましたが、まあそんな自分の感覚があります。
とはいえ矛盾した考えも持っています。
誰かと群れて何か偉大なものが生まれてくるのか。
任天堂の山内さんという先先代?の社長の考え方はもう1人の私の価値観に似ている部分があります。
彼は一匹狼なんですね基本的に。
うろ覚えですが、確かどっかのお偉いさんだかなんかの集いに誘われた時に「経営者ならそんなところで群れている暇があったら自分の仕事で結果を出して少しでも多く税金を納めるのが務めだと考える。お断りする。」とかそんなことを言ったと見聞きしたことがあります。
さすが社内で組長と呼ばれていただけあります笑 風貌もそうですが内面も肝が座ってっらしゃるというか。
私はこれはこれで正論だと思っています。
何か偉大なものを生み出すのなら自分の仕事で結果を出す。これに尽きる気はします。資本主義の中で生きているのですから尚更感がある気はします。
コミュニティ的なものから直接的に何かが生まれてきたという話は私の狭い知見の中での話ですが正直聞いたことはないですね。
それでもそれでも。私は私ですからね。私は友達に付き合ってもらいながら何かが見え隠れするその先に行きたいというか、行けると信じています。仲間と「おお!」と感動できる領域に正直行ける気しかしないんですよね。これは傲慢でしょうか。でもこれは昔から全く変わらない私という人間なんですね。
私の今の構想は仕事とここタール団の両方を以って巨大な両刀を作り上げることです。その両刀を以て例えばエスタークになるのではないか。…いや、エスタークという表現はちと邪悪過ぎるか笑
念のためいっておくと別に私個人がエスタークになりたいとかじゃないんですよ。みんなでエスタークになれたら最高なんじゃないか(やっぱり表現が悪過ぎる笑)と考えてます。
私はそれを果たせたならばどこか遠くに行きたい。別に忘れ去られたいだとか孤独になりたいだとかじゃないんですよ。私だって人間ですから承認欲求があります。それでもなんていうのか。これは表現が中々できないですね。でも何度か仲間には話した気もするんですがその輪の中にいれたらそれはそれで楽しいし、決してハブられたいとかそういうのではないけれど私のいないところで私以外の誰かと誰かがより仲良くやってくれていたらそれほど嬉しい事はない。
そういう癖が私にはあり、それと同じ感覚なんですね。例えば上記の某メンバーNとFは元々仲が良かったんですが私という人物を間に入れることでより2人の仲が深まって最後は私抜きの方向に帰結していくことが理想?とでも言えばいいんですかね。表現が難しい。まあ潤滑油みたいもんですかね。我ながらよくわからん癖があるなあとは思いつつ、それでも癖なんでどうすることもできない笑 その方向に持っていけたら理想ですね。大袈裟でカッコつけた表現で言えば誰かと誰かを繋ぐ、或いは繋いでおく役目が私の使命なのかもしれません。
また少し脱線してしまいましたが両刀を作るというアプローチの仕方は前人未到なのではないかなと考えています。
イメージはヒューレット・パッカード(親友同士で作り上げた米シリコンバレーの起源と言える企業。詳しい成り立ちはググってください)と月光会の配合とでも言えばいいでしょうか。それが私の壮大なビジョンっちゃあビジョンですね。
まあ遊んでいくだけですね。
とりま仮想オフィスに出社しよう。
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23:タール団員
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2021/01/01 (Fri) 02:18:50
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【宝石箱のような人生】
昨年の暮れに中々久しぶりに数日間寝込むくらい体調を崩してしまいました。
具合が悪くなりだした時にはこんなご時世ですから少々ヒヤヒヤしましたが症状的は違う気もしたので2晩様子を見て(週末でした)某メンバーFからのアドバイスも聞きつつすぐに翌日に病院に行った結果扁桃炎でした(某メンバーFの読みは正しかったです流石)。
喉からくる熱の少しだけダルい版って感じですかね。
左喉はなんともなかったんですが右喉が痛過ぎて水も唾すら通すのが辛い。
薬で緩和されるまではもちろん食べ物はろくに食えなかったですね。痩せた気がします。
でもまあ何にせよ軽い扁桃炎程度で済んでいがったなと。
そして健康のありがたみ、普通に飯を食えるありがたみ。ありがとうありがとう。それに尽きます。
さて、そんな扁桃炎の数日間は本当に数年ぶりなんじゃないかと思えるぐらいに全く何もできず体が完全スイッチOFFだったのでもうその最中から「時間は有限なのになんつうことを俺は俺は。」というモヤモヤ焦りだけが当初生じていたのですが、途中であることに気付いて「いや、何か大事な時間なのかもしれない」という思考に変わっていきました(厳密には多少は)。
夢を沢山見たんですね。
夢なんでそのほとんどはもう覚えてないんですけど、謎の妄想、アイデア、そして何よりもビックリしたのが少年時代のもうほとんど忘れかけていた…というより忘れていたと言い切っていいぐらいの出来事の数々が蘇ったりしていたんですよ。
例えば当時の私があの時大した好きな色でもなかったはずの黄色のゲームボーイポケットをなぜチョイスしたのか
だとか笑
色んな複雑な事情が隠れていました笑
これは一例ですけどね。覚えているやつはそれです。でも他にもあったんです。そういうことがいくつかあったという事実は覚えてるんです。ビックリしました。これが脳みその整理というやつなんだなということを思い知らされましたね。
ただ、寝ていただけだったんですが俗にいう瞑想状態とも言えるのではと思いました。睡眠の重要性。それを身をもって体感することができました。
さて、そんな体験を経て一つ思い出したことがあります。
「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで。」
「千と千尋の神隠し」の終盤の銭婆のセリフです。
この言葉は個人的にかなり好きな言葉なのですが、今回の体験を経てこれってマジなんじゃないかと思いました。
もしそうであるならば、語弊を恐れずに言えば、より今後の自分の人生が美しい出来事たちにのみに囲まれたものになるように、汚れのないものになるように、改めて誠に生きていきたいと思っています。
それでは2021年もよろしくお願いします。私も皆さんもみんながみんな良い年になるように。
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22:タール団某
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2020/12/19 (Sat) 01:11:48
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【2020嬉しかったこと悲しかったこと】
2020年、嬉しかったことと悲しかったことをなんとなく記しておこうかなと思い(すごい小学生の作文みたいなテーマだ笑)、今筆を取っております。
まあ締めの作業ですかね。個人的なことです。
メンバーらはなんとなく私という人物を知っているのでもしかしたら頷くかもしれませんが、私はあまり個人的な話を誰かに話すことはどうなんだ
という価値観のようなものをいつの頃からか、携えていたりもするので(それはあくまで私個人がという話で誰かが個人的なことを語ってくれること、それを聞くことは寧ろ私は嬉しい限りで大歓迎)頻度としては仲間内ではこれまで少ない方だったと思うんですが(もちろん振られれば多少は話してきましたが)、まあ多少の心境の変化というか自分の夢、ビジョン等も含めてもちっと積極的にシェアしないといけないなという考えも出てきたんですね。で、夢、ビジョンの形成に至るまでには個人的なこと、日々の積み重ねもあっての成り立ちだと思うんですが、ウイルスによって変わりつつある世界からの影響も何かあるんでしょう。その途中過程である個人的なことも多少はとりあえず仲間内の誰か一人にでも発信しておくことは悪くはないのではないかという今の気持ちがあります。なんでかは正確にはわからないんですけど、より私という人間を知ってもらう(タール団という場所にそれなりにいるのに何を今更感ですが笑)ことで仲間や他の誰かと何かまた、より面白いことができるのではないか。そういう期待もあるのかな。まあ私も一応群れの生き物である人間という生物なんで誰かとよりわかり合うって気持ちいいことではあるんですよ笑
遥か昔の高校時代にクラスメートに「血も涙もない」って言われた経験はありますが。どんな人間に見られてんだ笑っていう話なんですがまあそれもきっとジョークだったんだと勝手に信じております。あいつ、、元気かな。このやろう。
いつものことながらまた前置きが長いですね。取り留めのないものになるんでしょう。それでもここに、タール団という基地の端っこの柱にでも落書きを残しておくことにします。
うれしかったことでパッと出てくることはまず最近の出来事になりますかね。
酒の席でタール団某メンバーSが私のことを「〇〇は誰にでもこうだから。」と両手を顔の横に垂直に立ててジェスチャーをしてきました。
「一直線。真っ直ぐだから。」と。嬉しかったですね。彼は不器用で天然な男なんですが彼なりに私のことを見ててくれたのかと。失礼ながら思わぬ人物からの(笑)突然の私の人物評に不意打ちを食らった感はありましたが感動してしまいました。彼にとっては何気ない発言だったんでしょうが、私にとってはおそらくずっと忘れられない言葉です。
意識するものでもないですが、今後も、そしてより正しい自分として生きていきたいと思っています。
あとはなんだろ。いや、生きていればうれしかったことなんて山ほどありますよね笑 これは皆さんと同様であります。
隣に座っていた老人二人組に突然容姿を褒められたことは嬉しかったですね。
「あなたハンサムだねえ」
「どれ顔を見せてみろ。スターになれるぞ」
「ありがとうございます。」
店内だったので汗かくくらい恥ずかしかったんですが褒められることはやっぱり幾つになっても嬉しいですね。もうバリバリのオッサンなんですがね。
容姿に関しては異性なんかに言ってもらうよりかは同性だったり、ちょっと年上の人たちに言ってもらえる方が嬉しいですね。異性は基本お世辞と思ってしまいますね。「イケメンの定義とは」とよく思います。
同性だとかちょっと年配の人だったら本気で言ってくれてる感があるじゃないですか。嬉しいですよね。本当に。
ダサくならないよう気をつけようとは思いますし、同時にまあ中身ですよね。所属してる人間が言うのもあれですがタール団には中身が、いやここは「中身も」かっこいい奴と言ったほうがいいか。が、多いです。だからこそ今それぞれ個々の環境・ステージで彼らなりの無双はしていると思いますし、そんな彼らと常にタメ張れるように日々を私も全力で楽しんでいきたいと思ってますね。切磋琢磨ですね。
話が少し脱線するようですが数年前に某メンバーFが仕事で敢えて修羅の道に飛び込んで修行していた時期がありました。
その彼が修行を終えて帰ってきた時に会ったのかな?某メンバーNが「負けた」と思ったという話を後日私に話してくれました。
仕事云々じゃないんです。仕事を通して人間的な成長を果たして戻ってきたということでしょう。
これですよね。必ずしも競争ではない。それでもやっぱり拙作琢磨という言葉に落ち着きそうですね。そういう場所にタール団を仕立て上げていく。そうすることで社会がより良くなっていくことに繋がっていくことだと思っています。
今の日本は中々しんどい状況ではありますが、まあ誇大妄想狂と思われても全然構いませんがまだ間に合うと。まだギリギリ間に合う。中国も凄まじい、アメリカもなんだかんだでまだまだ余裕で超大国。それでも日本だからこそできることがあり、世界のリーダーになっていける。その要素はあると、そう信じておりますし、微力ながらその一役を個人として、そしてここからもという思いがあります。身近なところからコツコツやるしかないですね。
突然ですが選挙は行かないとですね。若者ですね。取り返しがつかないことになります。全部自己責任です。誰かがとかじゃない。
さてかなり脱線してしまいました。
嬉しかったことはやっぱりキリがないので悲しかったことというかしんどかったことを記します。…んー別にそんな無かったですけどね笑
今だから話せる内容をバシッとこの際記しておきましょうか。
父が体調を崩した時は結構くるものがありましたね。元々関係性としては良くなかったんですが、それでも親は世界で父と母の2人だけですね。
やっぱり弱ってる姿はしんどくはありました。あの時期は。そんな中でやるべきこともある。
タール団の場合はコロナということもあり中々活動という活動はその当時できていませんでしたがそんな中での希少なオンライン会議がある日ありましてね。「参加しとかないとよくないよなあ色々と」と強引にZoom会議に参加しました。
「所詮遊びでしょ」と言われたところで何よりその日は色々あって大事な日だということもあってのオンライン会議だったんですね。情熱を持って遊んでもいますから。
それでも親兄弟との話し合いの中で抜けてくるという最悪過ぎるタイミングとも言えて当然非難轟々だったんですが、それも全部完全に私に問題がありまくりだったとは思うし、今後の反省としてさすがにそういうことであれば二度とそういうことは無いように控えていくつもりではありますが、あの日のZoom自体は楽しかったし、寧ろ気分転換にもなりましてね。
何かあってもあそこに行けば誰かがいる。正しく我々の秘密基地だなあと。そんなことを感じました。その後も精神的に救われた部分があったんですよね。この基地には。
そういうしんどい時期もありましたがやっぱり私は、父は、我々の一族は豪運なんですね。
運良く状況を打破することができました。だからこれも厳密には悲しかったこと、しんどかったことというよりかは結果「嬉しかったこと」に今はなっていますね。
このことが機会にもなって父との関係性もかなり良くなりました。正直、相変わらず尊敬は全くできない私の父ではありますが、感謝はしているのでできる限りお返しはしていきたい。そんなことを今年改めて思う機会にもなりました。
生きていれば色んなことがありますね。
「あ、やべちょっとしんどいかも」と思ってしまう時期もあるかもしれませんが少し時間が経って振り返ってみれば案外楽しかったこと、嬉しかったことばかりになっているもんな気がしますね。上記の私のように変換されている。そういうことが多いんじゃないかな。
「あの時はあんなことがあったけど、あれがあったからこその今だよな!」と。
「全てのことをYESにする。」
これは私がよくメンバーらに言うことで、最近も熱を込めて語りました。
そんな風に日々を歩んでいけばきっと後悔ない人生が出来上がっていくと思います。
それではこの場の俺ver.2020。
じゃあな!ということで。
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21:T
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2020/09/19 (Sat) 22:51:23
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【先祖達との対話】
今はここに個人的なことを記すことがタール団の“一線を画した多様性を誇るオールスター集団の構築”というビジョンに則するのかは正直分からないところがありますが、
こういう奴もタール団の中にいたりするよという紹介というか宣伝も兼ねるということで最近感じたことを記しておくことにします。
休日でもありますしね。こういう日こそ無駄にアウトプットという名のデジタル糞のようなものを撒いておくことは我々の未来のための行動になるとも信じてはいますし。
「無為に過ごすなら糞をしろ!」精神で今後も未来に繋がりそうな行動を常に意識して過ごしていこうと思います。
この数ヶ月の間にある機会に巡り合うことがあり、これはチャンスと思いそれに乗っかる形で約20年遠ざかっていた私の父方の先祖達が眠るお墓に最近お墓参りに行ってきました。
因みにある機会が大きい部分でしたが、今年再会した地元の同級生、通称“鰭ヶ崎の王”の「ちょっと手を合わせてくるだけでいいんだよ。守ってくれるから」という一声も大きな後押しになりました。
長らく続く家の墓守をしっかりと務めている彼の言葉だからこそ、そのラフにしてくれた表現は私に響いてくるものがありました。
「そうだよな。俺近々行ってくるよ。」と彼には返事をしましたね。
遠ざかっていた理由としては“怠けていた”ということです。
私は親族は割と多い方ではあると思われ、だからこそ例えば私の従兄弟達も各方面に見事に散っており、その中でも私なんかは言ってみれば不良のようなもんなんですね。
一人を挙げても彼の場合は所謂御曹司。私は持たざる者。ゴミのような存在。そういったポジションで親戚付き合いなんてしんどさでしかない。
親族が嫌いとかそういうのではないし、寧ろ好意すらあります。やっぱり代々受け継いできた暗黙的に共有している一族の文化があり、
価値観も多分同じような部分があるはずです。皆さんと同様に私の場合にも例えば友達らが私の”らしさ”と認識している中の一つにこの一族の文化からきているものもあることでしょう。
要はアイデンティティですね。それはあります。
それでもなんとも言えない複雑な胸中が私の中にはあります。
まあ自らの努力不足が招いた部分が多分にあるのですが、そういうこともあって自然と自動的にお墓参りという儀式からも遠ざかっていたというわけです。
そんなわけで今回はお忍びで。
お墓参りは特に祖母目当てでした。祖母は私が幼い頃に亡くなっていますが、それでもやっぱり記憶に残っていますから。
私のおそらく一番古い記憶は祖母の記憶と思われます。
別に何かを信仰しているわけではない。
それでもこのお墓参りでは長らく遠ざかっていたことへの謝罪とお陰様で身体だけは大人になったよという報告、今日までの家族の健康と今後の祈願をこの時ばかりは行いました。
最後にお墓参りに訪れた時は私はまだまだ少年期真っ盛りでしたね。いつのまにかオッサンに。時の流れは早いなと感じました。そして懐かしかったですね。
ただ、それらと同時に祖母のお墓に訪れているということに対してピンときていない部分もあったんですよ。
その中で私は“ばあちゃん”には悪いですが、会ったこともない私の祖父、そして私の曽祖母の石に刻まれた名前を目の当たりにして結果的にこれが私の中でこの日の大きな感動になってしまいました。
私は祖父や曽祖母の顔を知りません。
私が生まれる随分前に亡くなっていることもありますから。
それでもその刻まれていた名前を目の当たりにして「こんな名前なのか。」と思いました。
いや、曽祖母はともかく祖父の名前は元々知っていました。
「こんな名前なのか。」という心情を言い換えれば「ああ本当にこの人たちはいたんだ。この世に存在したことがあったんだ。」と深く実感したということです。
思い出したという表現の方がいいのかもしれません。
年齢の割には、母親よりも早くして、急死した祖父、そしてその母である私からすると曽祖母。
私の父は所謂ばあちゃんっ子だったらしく、 幼い頃は一緒に寝ていたとか笑
そんな彼らに関する話を僅かながらこれまで断片的には聞かされており、その存在を認識しているつもりでした。
それでも石に刻まれた彼らの名前を見て、ようやくこれまでの私の認識具合が上辺的なものだったということを感じたのです。
そして彼らがいて今私がここに存在する。彼らの血が進行形で今私の体の中にも流れている。
理屈では分かる。誰もが分かっている。
それでもそれの実態は“つもり”で止まっていることが大半。
何かの本当の意味を消化し、真に理解する境地。
そこまで至るには紆余曲折を経てからでないと中々到達することは難しいのかもしれません。
そういう点で人間というのは中々不器用で面倒だなと思いますが、その過程が案外楽しかったり、生きることの醍醐味というか。おそらく。
そんなことを私は約20年ぶりに対面した先祖たちから教わったのかもしれないなと今は思っております。
実態はただの無なんですが、それでもなお彼らの存在によって受け取れる情報があるというのはやっぱりなんか嬉しいものですよ。
「この俺が」と思ってしまっている部分もありますが笑
別に競争でも何でもない。何をもって頂点なのかもわからない。強く意識するものでもない。
それでも私の人生はまだまだこれからなので一族の不良止まりではなく、どうせなら私は私のアプローチで私の立場を作り上げていきたいですね。
分家中の分家だった織田信長とか私にとっては良いモデルになるかもしれませんね。
まあなんにせよ必死こいて楽しんでいけばいいだけと今は思っています。”俺は俺”ですから。
これからを作っていけるのは先祖でも親族云々でもなんでもない。今ここにいる俺だけですね。過去を受け止めて未来へ驀進。
元気もりもり
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20:T
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2020/07/24 (Fri) 13:38:37
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【タービンに火を噴かしてファイナルアタックというギア戦士的ビジョンへ】
外食のあり方、一気に変わる
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO61197340W0A700C2M13000/
ファミレスのロイヤルホスト等を運営しているロイヤルHDの会長は今回のコロナを受けてこう言っています.
「”自分たちはリスク分散できている”という認識を持っていたということがまず間違いだった.やはり常になにが起きるか分からない.」
大変先の見通しにくい社会になりました.
コロナによって私も含めて人々はある種の恐怖感を植え付けられたと思います.
コロナ以外にも今後なにが起きていくのか.
そういった中で今後企業は環境の変化に応じて必要な事業を買い,そうでない事業を売る投資家のような発想が要るとある方面では言われています.
”PX=ポートフォリオ・トランスフォーメーション”
という考え方になります.
従来のM&Aを超えた「買い」や「売り」を行うということです.
PXの時代がやってきた コロナが迫る企業の代謝
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61026670R00C20A7TCT000/
バブル期から大きな企業は非中核事業を多く抱えがちになっていると言われています.
しかし今後はイノベーションの種を買いつつ,うまくいかなければ「売られる」という緊張感を内部につくって企業の新陳代謝を以て生産性を高めてひいては国内総生産(GDP)を増やしたい.
そういう希望を持っているそうです.
M&Aを使った新陳代謝のスピードが速い国ほど生産性も高いという仮説もあるそうです.
さて,上記の情報を踏まえてタール団の話を.
流山市をはじめ周辺地域の多くの皆々様,そして仲間らの存在によって当初は大変不安定だった2014年から始めたタール団の古本屋”たるほん屋”もある程度は幹の太い活動になることができたと思います.
ただ,ここまで太くできた活動(見方にもよるのでしょうが)の経験というのは実はこれまで無かったものですから活動単体で見てみれば最高過ぎるぐらいなのですが,
団体を見てみると「今日はなにして遊ぶ?」的な少年のようなノリが失せかけてしまったところは正直あったと思います.メンバーが集えば自動的にたるほん屋を行う感じですね.
それによって団体が少し硬直した部分もありました.
そうなってくると楽しさはどうしたって落ちていきます.
ただ,やはりタール団は腐ってもタール団ではあるとは思います.ここが我々の強みの一つです.
楽しさが落ちてくれば首脳陣がそれに対して「おいなんか盛り下がってるぞ.俺たちが楽しめる新しい何かをするぞ」といった感じで一石を投じようと試みます.
そのような動きがたるほん屋がある程度安定してきていた2015,2016年頃からあったような気がしています.
流山で一部のメンバーが集う定例会というものを月一で行うようになりました.
その翌年にはさらに平日の夜に都内某所でも会議をするようになりました.そして月一で土日の午前中に公園の調査活動や動画をも撮ってしまい,さらに編集アップもする.
2017年には平成元年度会という飲み会を始めたりもしました.某所にて基地作りにトライしたりもしました.その合間に既婚者メンバーの家族との交流を図ったりするようなこともしました.カプセルトイにも参入しました.
2018年はたるほん屋の活動をより自分たちが楽しめるよう実験を増やしました.飲み物を販売したり,新しいモノを自分らでつくって売ることを試みるリビルドをはじめ,
カプセルトイのおもちゃなども自分らで積極的に作ろうという気運が生まれました.缶バッジもその中で出てきたものです.
また,会員向けにレベル経験値システムというものを導入したりもしました.
2019年はモノ作りの気運をそのまま引き続く形で会員証や名刺の再作成,タルカというタール団のカードも作成してみました.元年度会の経験を以て身内でサロンと言う名の飲み会を始めました.機関紙「谷底新聞」も始めました.
さて,上記に挙げた個々の活動の細かな説明等は省かせていただきますが,まあ実は色々始めてみては「やっぱ違うかも」という感じでそのほとんどを投げてきました.
多分私だけでなく皆が色々やってみているという実感はなかったと思うんですけどね笑 振返ってみて初めて気づくことってあると思います.
私はPXの情報を見て思いました.
タール団にもM&Aのような新陳代謝が実は促され,また始まっているのではないかと.
私はこの点を仲間たちに自信をもってほしいと思っています.
日々行ってきたことは実は地味ではあったとは思います.上記の通り行ってみてその楽しさの具合が初めてわかったりもするものですから,やってみては捨ててやってみては捨てての繰り返し.
それを継続することは案外面倒なものです.ただ,タール団という場は活動云々以前に親しい仲間がありきの団体でありますから継続することができました.
「こいつらとおもしれえ遊びをやるために」ってな具合にですね.
私はPXの情報とここ数年のタール団のあゆみからジェームズ・C・コリンズの言う弾み車の話を思い出したりもしました.引用します.
「巨大で重い弾み車を思い浮かべてみてみよう.金属製の巨大な輪であり,水平に取り付けられていて中心には軸がある.
直径は10メートル程、厚さは60センチ程,重さは2トン程ある.この弾み車をできるだけ速く,できるだけ長期間に渡って回し続けるのが自分の仕事だと考えてみる.」
「必死になって押すと,弾み車が何センチか動く.動いているのかどうか,分からないほど、ゆっくりとした回転だ.それでも押し続けると,2時間か3時間経って,ようやく弾み車が1回転する.」
「押し続ける.回転が少し早くなる.力をだしつづける.ようやく2回転目が終わる.」
「同じ方向に押し続ける.3回転,4回転,5回転,6回転.徐々に回転速度が速くなっていく. 20回転,30回転,50回転,100回転.」
「そしてどこかで突破段階に入る.勢いが勢いを呼ぶようになり,回転がどんどん速くなる.弾み車の重さが逆に有利になる.1回転目より強い力で押している訳ではないのに,速さがどんどん増して行く.」
コツコツやってきました.そして進行形であります.
このままやっていけば例えで言えばギア戦士電童(昔のロボアニメ)のタービンに火を噴かせることができるぐらいの勢いがつくと信じております.そしてファイナルアタックという流れになります.
スーパーミニプラ GEAR戦士電童 電童&データウェポンセット
https://www.bandai.co.jp/candy/products/2020/4549660503972000.html
はい「最高に楽しい状態」ということです笑
ただ,我々の世代でファイナルにしてもしょうがないので(笑)かましてから次世代に託すのが理想ですね.
昨年某議員の秘書様にこんなことを言われました.
「タール団さ.古本屋もいいけどそれだけじゃなくて枠にとらわれずもっと攻めてくださいよ.」
そうですね.その通りであります.ただ,いきなりファイナルアタックはできません.
ギア戦士電童はまず電池を充電しなければなりませんし,また,データウェポン(動物型の武器)をコツコツと集めていくことも必要です.
徐々に徐々にギアを回していきます.
今は新たな時代に立ち向かっていくためにタール団流のリモートワークの基盤を作る作業に取りかかることができていると思います.ここもまたその一環であります.
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19:Brandie
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15:T
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2020/07/01 (Wed) 12:20:53
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7月になりました。
谷底新聞以降、特に個人の考えを出力するような活動を増やしたというか…
自然に増えていった(あくまで私目線)という表現の方が近いですね。
谷底新聞を1、2回やったあたりから以降今日に至るこの掲示板も含めたそれらの活動に対して
私の中に一貫したあるコンセプトがあります。
それは主に"仲間に対して語りかけよう"というものです。
世の著名な経営者の中には承認欲求、自己顕示欲を満たすために
SNSで発信することばかりに集中して社員には全く語っていない方々が多いという話を聞いたことがあります。
所謂マウント合戦を繰り広げているのでしょう。
なので私は仲間と改めて話そうと思ったのです。
特に私は「あいつは何考えてんだ」と思われがちな人間だということは自覚はしていますので
尚更今私が感じていることなどを少しでもシェアせねば駄目だと思いました笑
ただ、そこまで頻繁に会うわけでもないですし、
会っても活動が忙しくてのんびり話す時間も案外無かったりもします。
そしてさらにコロナも途中からかぶさってきましたから
SNSではないですが逆転の発想的に新聞や掲示板、
動画等の活動の中で仲間の存在を意識したものを私は発信してきたというわけです。
発信する瞬間は一方的なものになってはしまうのですがそれでも仲間と駄弁るイメージですね。
目の前にいるような感覚をイメージしてきました。
外部の方々ももちろん意識はしていますがこういっちゃあれですが二の次です。ごめんなさい。
ただ、メンバーらは多忙な者、自由な者が多いのでそんなところで
発信したところで大半が見ない可能性大なんです。
一人一人にしっかり伝えていくにはやっぱり直接会ったりして話さないと駄目ではあるんですが
ある仲間風の言葉で言うと"インターネットというのは時空を超越できる"という大きすぎるメリットがあり、
そのメリットによって持続的に最低でも幹部にはメッセージを届けれる(受け取ってくれる)んで
それだけでも発信することにはかなり大きな意味があると判断し、今も進行形で行っているというわけです。
ただ、最近そのような場が複数あるため(例のあれです笑)私の出力の分散化は避けたい。
そこでどちらを優先というか選択するべきかと考えた時に
「最高の仲間達と偉大なものを作る」というタール団の基本の理念(さらにその理念をタール流の言葉にすると基地の建立)に基づいて
やっぱここよりかはあっちかと今は考えています。
つまり何が言いたいかというと更新頻度が落ちますということです。
その分あっちにエネルギーを注いでいきます。
今後ここのスレをどのように使おうか今はまだまとまってはいないのですが、
文字は文字のメリットがあるとは思うので(何より私自身楽しめていますからね。ここの更新も。)最悪向こうの文字版を
ここにコピーする感じでもいいのかなと今のところ考えたりもしています。
どうしても伝えたいようなこと、重要かなと思うようなことですね。
何度も見聞きしてようやく頭に残ったりもするじゃないですか。
向こうで触れて忘れた頃にここで改めて読んでもらって思い出してもらうとかは理想かもしれません。
「あーそういやこいつこんなこと前に言ってたな。」ってなってくれれば。
まあまだわかんないですけどね。
タール団にとって重要だと思える情報を淡々コピペしていくのもありな気もしてますし。
まあ自分が楽しめるやり方でやっていきます。
楽しむことは情熱を生むからです。
情熱を注げたものは何かしら形になります。
その逆もしかり。
ではまた!
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14:T
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2020/06/13 (Sat) 10:25:37
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コロナの影響により,オンライン授業が促進されつつある状況の中にありますがその状況下にあって私は学生時代のある先生の教えが今改めて思い起こされています.
「おまえらどーせ座学なんてやったって眠くなるだけだろ?つまんねえだろ?」
先生は常にそのようなことを言っていました.
だから先生の授業に先生から一方的に教えを聞くような一般的な授業はなく,
例えば小学生向けと思われる簡単なプログラムによって動かすレゴ製のロボット等を教材に使った実習的授業のみが行われました.
正直めちゃくちゃ面倒でした.
やる気のない自分からすればただ座って聞いてればいいだけの座学であれば当然そっちの方が楽に決まっている.
先生の授業の場合は常にまわりの仲間と組んで「あーだこーだ」とその実習に取り組まねばならなかったので怠かったです.
過ぎてみれば思い出深い授業になってはいるのですがね.
そんな先生の受け持つ研究室は学生ら,他の研究室の人間たちから“やる気のないやつらの巣窟”というイメージを漠然と持たれていたように思います.
私もそこに所属することになりました.
実際にやる気は無かったのでそのイメージは正しかったように思います.
また,それは我々のみが作り上げたイメージというよりかはどうやらある種の伝統的なものらしく,研究室の先輩方の話を聞くとやる気がなさ過ぎて頭がおかしいぶっ飛んでいる人たちが沢山所属していた歴史がありました(詳細は伏せます).
私はそんな伝統を「へえ面白いじゃん」と内心思っていましたが,ただ気に食わなかったのは我々学生のせいで先生に対しても他の学生連中からなめられたイメージを持たれることには納得がいかなかった.
だから今これを記しているということもあるとは思います.
俺らはゴミだったが先生は違うと.先生は,教えは偉大だったと.
(ただ,学科内主席的なやつは唯一我々の先生のことだけは認めている節があり《逆に他の先生方に対してはなめ腐っていたと思います.なぜならば彼に対して論破できるのは唯一我々の先生だけだったからです》専ら我々の研究室に居座っていることが多かったです.私と彼は正直仲が良いとはいえませんでしたが.私のことを知っている人間が聞けば驚くとは思いますがハッキリ言ってしまえば稀に見る馬が合わない人間ではありました.まあ当然と言えば当然です.彼は優秀.私はゴミ同然の対局にいる人間でしたからね笑)
研究室でも先生の教えは一貫した実地的主義でした.
冒頭に書いたある授業時のレゴのように必ず何か特殊な物に触れさせるような実験的な内容が主.その中でそれについて周りと談義したり,助け合ったりする.
ある時こんな内容のゼミもありました.
「おまえらがまず前期でこれを学ぶ(これもまた特殊な教材を使用したものでした).そしてそれを後期では隣の研究室の学生達に教えろ.誰かに教えることで自分の学びにもなる.」
これはこれで大変でした.まず私たちはそれについてしっかり理解をしないといけない.
そのうえで後期で人に教える.いざ教えてみてスムーズにいった手ごたえがあっても結果を見ると意外と,思った以上にうまくいかずに教える側の人間と教えられる側の人間が共に何が失敗の原因となっているか必死に解明する.
今このご時世になって改めてそれが思い起こされているのです.
オンライン授業は便利なもの.普及するべきものでしょう.
ではそのうえで学校,教室では何を学ぶのかをしっかり問わねばならない段階と思っています.
学校という場でしか行えないものがあると思います.
そこをしっかり考えれば我々の世代よりも遥かに高度な教育が子供たちに行われるものと思っています.
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13:T
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2020/05/30 (Sat) 16:54:33
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【ハーフ社内報】
「会長はTだけど俺たちみんなの団体じゃん」
タール団のメンバーである某Nの名言を私は刻んでおきたいと思い、今これを記しています。
ちなみにこれは私一人が我が物顔でタール団を無茶苦茶にしようとして某Nがそれを制止しようと発した言葉ではございません笑
当事者意識でこの団体の現状の大きな課題を挙げて要はこのままだと
「やばいよどうするよなんとかしないとけないよ」
と某Nが連絡をくれたわけです。
「個々の環境はキャリアアップや結婚等で更に変化して忙しくなっている。それでも想いは変わらない。皆とこれからも継続して繋がっていきたい。
だからこそタール団を守らねばならない。10年後とかにたまに会って振り返るような思い出にはしたくはない。」
コンパクトにまとめてしまいましたが某Nはこのような想いを私に話してくれました。
「わざわざありがたい。寧ろそういうことは俺の方から積極的に相談するべきことだよな」と言えば某Nが冒頭の言葉を放った、放ってくれたというわけです。
実は昨年12月も某Nではない違うメンバーが全く同じような想い、危機意識を持って私に今後のことを相談してくれていました。
これはやっぱり嬉しいものですよ。
どんなに環境が変わろうとも、忙しくなろうとも「どうにかしてお前らとはずっと遊んでいきたい」と思ってくれている。
なんといえばいいのか。今は中々表現ができないのですがそれってとんでもないことだと思うんですよね。
そしてまた私ももちろん同じ想いを持っています。縁あって出会えた気の合う仲間達ですよ。
一人一人と会って何かこう前向きな、生産的な友情をより育んでいきたいと思っております。
思い出等を語るだけの友達ではなく「次は、今後は、何して遊んでいこうか」と話せる未来志向の仲。
これがタール団という場だと思います。
こう言うとなんだか意識高いっぽい感じになるんですが全然そんなんじゃないということはメンバー皆が何よりわかってくれていることでしょう笑
さて、団体的になんかこうちょっとキツイなと感じてしまう時期にこそ少しでも前向きになれるようなことを。
私の記憶するタール団での一番最初の大きな壁はクラス替えという環境の変化でした。
より広い世界で過ごしている大人からすれば
「大した環境の変化じゃねえだろ」
と思ってしまうかもしれませんが子供達からすればそこが世界のすべてとも言える場所なんです。
映画スタンドバイミーの冒頭のナレーションを思い出してみてください。
「1281人しかいない町だったけれど、私にとっては世界のすべてだった」
と少年時代の心境を振り返る場面があります。正しくこれと同じと思います。
当時タール団というのは“4年2組”のメンバーのみで構成されていたグループでした。
それが5年生になるとクラス替えが行われるのでメンバーが散り散りになる。
クラスが変わればやっぱりそれぞれのクラスメートと遊ぶようになる傾向があるので
タール団もこのままだと自然消滅するのではないかという懸念があったわけです。
ただ、やっぱり子供とはいえ侮れません。
私はともかく何より他のメンバーらが危機意識を強く持っていて自然消滅するどころか、
結果新しいクラスメートらと存分に遊びつつ、
時々そこからタール団に新たに誘ったりするという行動も生まれて新陳代謝が促されてタール団がより勃興したという歴史があります。
その時代にタール団に入った代表格が某Yや某Sと言えると思います。
このような環境の変化に伴う危機的ケースがその後も何度もふりかかってきましたし、今も正しくそういう状況と思いますが
今日までそういうものを乗り越えて、進化しながらやってこれたと思います。
また更にもう一つある話をしたいです。
以前から私はあるメンバーから
「お前はもっと狂えると思う。」
というアドバイスをもらっていました。
「狂える」というアドバイスは見方によってはバイヤー過ぎると思いますが笑、
言い換えれば「あなたにはもっと人生を楽しむことができる余地があるはずだよ」ということだと思います。
そういうことを昨年の12月に改めて言ってもらったんですね。
そこから「狂うためには」と改めて考えている中で
偶々「もっと狂え!」という見出しの孫正義さんの記事が私の目に飛び込んできました。
そして私はそこから更に派生して孫さんが影響を受けたという司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」に繋がっていくことになりました。
実は「竜馬がゆく」は二十歳ごろに一度読んだことがあったのですがもうほとんど記憶から消えていましたので、
まあいい機会かと思い、全8巻なのでのんびり数ヶ月かけて読んでいきました。
ずいぶんと前置きが長くなってしまいましたが(個人のことを語ってしまいすいません)
その小説の中から勇気づけられる一文がありましたのでそれを今ここにタール団のために載せておきたい。
「亀山社中の業務内容は、一に貿易、ニに海運、三に討幕用の私設海軍、というものだったが、
その奇抜な結社にかんじんの船がないとはお笑い草にもならない」
亀山社中とは主人公"坂本竜馬"が作った結社です。
やりたいことはあるのだがそれを行うための船が無いという相当ピンチな状況ですよ。笑
それでもそこを彼らは突破してなんとかうまいことやって船を手に入れ、終いには明治維新へと繋がっていく歴史の潮流の一端を担うくらいのレベルで活躍していくことになったんですね。
小説と言われればそれまでなんですが今のタール団にも、ひいてはこのご時世にも何か響くものがある一文ではないでしょうか。
ヤバイと思える時こそ進化の前触れと思います。
更に私は尊敬するある経営者の方の言葉もここに盛り込んでおきたいと思います。
「生き残る。ただ、それだけで将来成功者になれる」
タール団に所属する個々人は今後さらにそれぞれが大きくなっていくことでしょう。
その中でタール団という基地もそれに比例する形で改めて面白く構築していきたいと思っています。
我々ならばそれが可能と信じております。
そしてまた外から団体を覗いてみたときによく見たら所属しているやつらは実は錚々たる顔ぶれなのではないかと思ってもらえるようにもしたい。
そういうふうにできたらなんか単純にカッコよさげじゃないですか笑
その中で私が一番無能に見える。ちょっと変態的かもしれませんがこれが私個人が追い求めるタール団での究極の立ち位置ですかね。笑
さてさて随分長々と今回は書いてしまいましたが折れずに皆でかましていきましょうか。
簡単なことです。ただ楽しんで遊んでいけばいいだけのことですから。
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12:T
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2020/05/29 (Fri) 00:25:00
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取り留めのない話だがそういうものこそ,この“自由帳”に記しておくと面白い気がするのでまた置いておくことにします.
学生時代に18切符を使った鈍行での一人気ままな国内旅を行ったことがあります.
その時は関東から一応の目星として広島の宮島を目指していました.
その道中ですね.土地勘がないので詳しくは分からないですが
岡山だか広島なのかその辺りを人疎らな鈍行で揺られていたときです.
私は専ら旅行中の移動時は何もせず,ぼんやり現地の人や景色を眺めている傾向があるのですが
その時も車内で無意識にそういうことをやっていました.
その最中で目の前に私と同世代くらいの女性が座ってきたんですね.
格好は流行にしっかり乗っかっている当時の若者らしい恰好だったと思います.
その子が座った直後から手鏡を手に持ってめちゃくちゃ化粧しだしたんですよ.
「熱心にやってんな」とぼんやりその子を観察しつつ,正直電車の外は中々の田舎だったので
私はその子のそういう行動から
「外出バージョン.この先にはおそらく結構栄えている町があって
それなりに大きいショッピングモールとかがあるのかもしれないな.」と推測したわけです.
最後の最後まで化粧をし続けた彼女でしたが,
結果彼女が下車していった駅は私のイメージしていた栄えている町とは正直違う田舎の町でした.
パッと見古い家々が並んでいる町で少なくともショッピングするという感じの雰囲気ではなかった.
私の推測は外れて「俺はまだまだだ」と自分の推測能力の未熟さを感じました.
また,私はなぜ彼女があそこまで熱心に化粧をしていたのかがその後もしばらく気になっていました.
「気合い入れて彼氏にでも会いに行ったのかのう」
「ただのメイク好きか」
「そっちの業界を目指している人なのかのう」
とかそんな妄想を勝手にしたりしました.
何気ない旅行中のシーンなのですが最近ふと,この時のことを思い出したので今回ここに記してみました.
自分にとってはこれもまた「旅はいいものだ」と思い出させてくれる一コマであります.
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11:T
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2020/05/25 (Mon) 20:06:29
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今回のコロナから皆さん何かしらの学びのようなものを得ているのではないでしょうか。
私の場合は「未来はある程度大まかには予測することができるのかもしれない」
という仮説が自分の中で立ちました。
いや、これは別に「私が凄い」だとか「俺は超パワーを操る能力者ミスターMリック」だとか
そういうことが言いたいわけでわけではないんですよ。
皆さんも、もちろんこれを記している私自身もその気になれば多分予測できるという可能性の話がしたいんです。
どうか最後までお付き合いください。
これは私はタール団のあるメンバーとの雑談中にも話したことです。
ここ一年自分なりに意識的に情報収集をしてきた中で(たかが知れてはいますのでどうかご安心ください)
どうも今回のこの状況を数十年前から予測していた天才達がいたような気がしています。
コロナが騒がれはじめ、次第に酷くなっていった状況を見て私は正直「ん?」と思いました。
もちろん未来のことは人間である以上誰にもわかりません。
従って厳密にいえば彼らの予測が100%の正解だとも言えないという見方もできるかもしれません。
でもそれは結果論。必ずしもハズレだとも言えない、
見過ごすことはできない数多くの天才らの予測情報がこの社会の至る所に散らばっているんじゃないかと私は今思っています。
極論的表現をあえて使えば“天才達にはある程度は見えているのではないか”ということ。
(予測できるって言ったり未来はわからないって言ったりお前はなんなんだという意見はごめんなさい。本質を汲み取ってください。お願いします。ありがとうございます。アディオス)
私はゲームには詳しくないですが、タールメンバーから聞いた話によると最近で言えば
ps4ソフトの通称「デススト」の制作者である小島監督(メタギアとかが代表作)もこの今の状況をある程度読んでいて
「デススト」に反映させたのではないかという噂があるという話を聞きました。
実際彼が先を読める知識層の天才であるのか、或いは情報収集に卓越した人間なのか私にはわかりません。
また、他の例を出しましょう。
少し昔の話。確かあの黒船来航前の話のはずですが、無参和尚という若かりし頃の西郷隆盛の禅の師匠が彼ら教え子らに
「この平和がいつまで続くかわからない。異国船がやってきた時に国内は乱れる。その時になって慌てても仕方がない。お前たちは今から力を養い、事がある時に備えておきなさい」
と話したと言われています。
これ黒船が来る前です。すごいですよね。
実際にその通りになり、西郷隆盛は明治維新で活躍することになります。
とまあそういうことなんですよね。
我々一般人の場合には古今東西の天才達が発信してくれている情報にアンテナを張っておけばいいんです。
そうすればそれらを組み合わせたり整理するだけである程度何パターンかの未来予測が一般人にでも可能だという手応えのようなものを私は今感じているんです。
ありがちなことを声を大にして言いますよ。
「常にアンテナを張りましょう。」
そうすれば誰にだって神の一手を講じることができます。
ただまあ、最初から満遍なくアンテナを張れれば理想ですがそれが厳しい人もいるとは思うので(俺&俺)
最初のアンテナの方向はまずはなんでもいいと思います。
自分の興味ある方面に走ってみてください。それでも十分何か先々のことが見えてくるものと私は思います。
神の一手をガンガンかましちゃってくださいまし。そうすればあなたも天才のようなものですよ。
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10:T
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2020/05/23 (Sat) 18:52:31
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ここ数年漫画というものに触れるたびに
「これ人が描いてるんだよなあ」と思うようになりました。
当たり前のように読む...というか見ている何気なく写っている髪の毛だったり背景だったりも基本全部絵なわけじゃないですか。
一つ一つそれを描いている作者はとんでもないなと最近すごく思うんです。
そして最近さらに漫画というものを発明した人の凄まじいバイタリティを想像したんです。
偉大過ぎるなと。
ある意味今の漫画家は漫画というものが当たり前にあった時代に生まれているのでその作業も当たり前なものとして既に受け入れられていると思うんですよ。
ただ、漫画というものがまだ無かった時代ですね。
漫画ってのはある種、本、文章の進化系だと思うんですよ。
それまで文のみで表現していたものをイラストも組み合わせたものと思うのでね。
それを最初に実行に移した人のことを想像してみたんです。
例えば自分が考えた脚本(小説)をイラストを中心にしたもので一つ一つ表現しようって思っても気が遠くなりませんか?
漫画というものがまだなかった時代に仮に私がいてそれを「面白そうだな」と思いついても膨大な作業量から「いや、無理だ。人にできるわけがない。」と即頭の中で結論を出して諦めていたでしょう。
多分当時漫画の原型の発想までできた人は案外いたんじゃないかなと思うんです。
でも気が遠くなる作業量のために上記の私の例の通り大半が諦めた。
その中である時に「いや、面白そうだし。やってみるか。」と果敢に始めた人がいたからこそ現在の漫画という文化が当たり前に成立してるんですよね。
私は漫画の歴史を知りませんが最初の方に思いついて、何より“実行して形にした人”。
この人は革命を起こしたんです。
そしてよくよく考えてみればこれって実はどこの業界でもありそうなことなんですよね。
もしあなたが面白そうなことを思い付いたけどたかだか量だけで諦めているのならそれは人類にとってとても勿体ないことかもしれません。
また、量とは全く違う何かしらの問題があったりすることもあるとは思います。
でも大事なことはまず“実行”してみること。
これをやってみると世界がより良い方向に大きく変わっていくかもしれません。
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9:T
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2020/05/11 (Mon) 19:04:31
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不定期更新ながら部屋を作ってから一ヶ月が経ちました。
自分の中でまず最初の目標が一ヶ月続けることだったので一先ず安堵しています。
ただ、思ってたより飛ばし過ぎたかなとは思ってはいます。
いや、やらないよりはやったほうがいいんですよ。
ただ、自分の中の経験として昔大学入学当時、やる気があったやつらから即離脱していったイメージがあって
最初からやる気ありまくりなのもどうなのかなっていう考えがあったりします。
例えばはじめの頃に仲良くなったやつの中にSっていう茨城出身のやつがいてそいつが最初の頃
「俺はこれからの大学生活謳歌するんだ」
とかなり息巻いていましたがそれから2、3ヶ月後の彼は変わってしまっていました。
腐っていました。理想と現実のギャップがあったからだと思います。
授業後食堂のような場所で二人で休憩していたのですが彼があまりにもダウンしている雰囲気だったので
「まあまあ。一緒に頑張ろうぜ」
と声をかけてみたのですが彼は
「もう俺は頑張れないわ」
という返答。最初の頃の雰囲気との変貌ぶりが凄かったです。
「んなこと言うなよ」と私は彼に返しましたがその日が彼と会ったのは最後でしたね。
彼は前期を以って大学を辞めてしまったと思われます。
なんとなくフィーリングが合うように感じてはいたのでね。寂しいものでした。
もう二度と会う機会はないだろうなと思われるそんな彼のことを
今でもたまに元気かなとふっと思い出したりします。
スラッとした割と容姿の良い男だったとは思いますし、コミュニケーション能力も普通にあったとは思うので
どっかでうまくやってるとは思いますが。
寧ろあんな大学は辞めて正解だったという結果さえなってくれていたらそれはかつての友人としては嬉しい限りです。
そう願うばかりです。
少し脱線しましたがまあそんなような奴らが結構いたんですよね。
反対に案外そこまでかっ飛ばしてないような奴らが結果大学を順調に全うしているケースが多かった気がしていて。
いや、もちろん最初から最後までかっ飛ばしている奴らもいましたよ。
そうなれたら理想なんですけどね。
まあそのような経験があるのでね。
そこらへんのさじ加減が難しいなとは思います。
高いモチベーションがベースには必要なんですが、その上での調整。
ここのバランスが何事も継続していく上では大事と思っています。
さて、今の自分のテーマは「コツコツ継続」です。
やっぱりコツコツやっているとある日大爆発するんですよ。
これは私の場合タール団から学ばせてもらった一つの真理です。
タール団でいえば正直これまでやった活動によっては地味な活動や作業が山ほどありました。
単刀直入に言えば「めんどくせー」って思うようなこと。
中にはこれやっても無意味だろと思えるようなものもありました。
撮影した公園の看板の写真を一枚一枚サイズ変更して何百とhpにはっつけていくとかね笑
ただ、そんなものでも一つ一つクリアしていった先には不思議なもので結果大きな実りがあったんですよ。
しかしやっぱり歳を取ると楽したくなっちゃうんですね。時間にゆとりがないからというのもあるでしょう。
そんな中で時間なんてかけたくない。一発を打ちたくなる。
でも基本的にそんなものはないんです。
学校の勉強だって仕事だってそうです。
ある日突然偏差値40から60になることはないです。
売上が100万から1000万になることはないです。
ガリガリマンがいきなりボディビルダーにはなりません。
その途中の地味な何かがあるはずです。
その地味な部分。そこに継続というキーワードが入ってくると思います。
いや、本当に近年の私は継続力が衰えていたなと感じていました。だから何もならない。形にならない。
そういうことを意識してここ一年はできる範囲で色々やってきました。
いや、別に大したことはやってません。些細なものです。
何かプラスになるかなと思うようなことを緩く継続できる工夫をしながらという感じですね。
そして次にその一環として「さて」と思って始めたのがここですね。
タール団に何かプラスになるかもしれない。そういう思いもあり。
というわけでまずは最初の目標として1ヶ月の運営ということでした。
冒頭で「かっ飛ばした」とは言いましたがそうは言っても別に毎日更新してきたわけでもないし、
緩く継続してきたことがお分かりだと思います。
ただ、これを仮に3000年やったら?さてどうなるでしょう。
ある中国の軍人は軍の基本として
「有限の目標を無限の手段をもって到達するべき」と言っています。
欲を抑えて有限の目標を設定しクリアする。
そうして目標をクリアすることで弾力性が生まれてまた次の目標を打ち立てることができる。
朝鮮戦争でのマッカーサーなんかは欲に負けて無限の目標を追ってしまい失敗したとも言われています。
さてさて。ここまで書いといてさらに1ヶ月後この俺の部屋が消えていたらお笑い種ですね笑
未来のことはわからないです。
ただ、継続するという信念は今の私からは消えません。
どうしても私の体は一つなので優先順位はつけざるを得ないですが、
仮にここが失せたとしてもその時は確実に何か別方向で継続するべきものがあって
私はそちらにここに割いている資源を投入していると思っていただければと思います。
皆さんも一緒にコツコツ何かで遊んでみませんか?ではまた!
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8:T
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2020/05/07 (Thu) 12:18:03
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昨晩もタール団ではZoomを使った仲間内でのテレビ電話をしました.
色々思うことはあるのですが,
何にせよ仲間とこういう形ででも遊べることが嬉しい限りです.
コロナとかは関係ないんです.
元々人間は生きていればそれぞれのいる環境がそれぞれの時間軸で変化していきます.
だからアッセンブルするというのが非常に難しい.難易度が高くなっていきます.
それでも今もタール団は確かにある.
タール団という組織はアッセンブルできるということが
昔から当たり前なことではないという現実を把握していたと思います.
その上で抗う.だからこそ抗い続けられたとも言えるかもしれません.
私の好きな言葉で「企業は常に倒産に向かっている」という言葉があります.
ファンケルの会長池森氏の言葉です.
我々は企業ではなく結社ですが,今日までタール団が存在してこれたのは
絶えずそのようなある種の危機意識を持ったメンバーらがいたからです.
「俺たちの遊ぶ場所,俺たちの秘密基地をいかにして守るか」
この日のテレビ電話中にもそういう意識があるように思えました.
「遊び続けるぜ」というところから始まる上記意識がある限り,
タール団という我々の秘密基地は永遠に消えることがないでしょう.
そしてまた、抗い続けた先に前人未到の世界が存在していることを我々も,
その周りの人々もきっと既に知っているのです.
その宝を探し,追い求める旅はまだまだ続きますし,
その宝の追求は誰かのためになるものだという根拠のない自信があります.
楽しいですね.本当に.
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7:T
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2020/05/04 (Mon) 19:27:13
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やってまいりました俺の部屋.
早速アウトプットしておこうと思います.
本日仲間内で今流行のzoom遊びをしました.近況報告を兼ねた雑談ですね.
テレビ電話は非常に便利です.どこにいても集合することができますからね.
ただ,限界もあります.人数ですね.
4,5人でもだいぶ会話がきつくなってくると思います.
例えば誰かが些細な相槌を「うんうん」と言った時に他の誰かの発言もかぶってしまって
その発言した人の音声がよく聞こえずもう一度聞き直さないといけなかったりというケースなどが
あったりもすると思います.
また,人数関係なく会話というのは間が非常に大切だと思いますし、
時と場合によっては一期一会のような熱を帯びていることもあります.
そういった部分まで徹底して拾っていけるような通話状態,リアルで会っているような会話空間を
作れなければ人類は中々しんどくなっていくのではないかと感じました.
数年前に不思議な縁で出会ったタール団を元々知ってくれていたという某国立大学生徒のO君.
「今夢とかあんの?」と聞いたら「VR業界に行けたら」と
語ってくれたことを今でも覚えています.
彼がそっち方面で今後無双してVR通話空間とか作ってくんないかなあ.
そうしたら色んな意味で嬉しい.
そんなことを妄想してしまったりもしています.
とにかく今後の技術の発展に期待したいですし,また,人任せではなく自分に何かできることはないか.
そこまで考えていきたいです.
医療顧問の話を聞いて「この状況が我々が生きている間はずっと続くかもしれない」という
ある意味の最悪なシナリオを常に想定して動いていきたいとは思いました.
そうすれば壊滅もしません.寧ろ進化することができます.
それを踏まえての上記でもあります.
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6:T
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2020/04/27 (Mon) 11:01:18
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数年前に御老人方と何日か関わる機会がありました。
大体60代〜70代の面々で私一人だけいきなり平成生まれの20代(当時)という構図でした。
全員が初対面同士の出会いでしたが皆さん男性だったのでこういう時にパッと出てくる共通の話題といえば下ネタになる。
多分私に合わせてくれた気遣いも間違いなくあったのだと思います。
その作っていただいた空気のおかげで、私もその輪の中で自然と打ち解けることができました。
感覚で言えば学生時代のクラスメートにも近いものがありました。
年齢差はあっても最早気にならない。
そんなことは忘れることができるくらいにお陰様で本当に居心地が良い場所でした。
年齢差を超えた友情すらあったと少なくとも私は勝手に思っています。
他愛無い話を含めて色んな話をしました。
その中で戦後何もなかった時代から日本の復興を成し遂げた方々はこの人達なんだということが分かっていきました。
不眠不休の頑張り。別に本人達はそれを私に老害のようにアピールしたわけではなかったです。
ただただ思い出話のように「あの頃は忙しかったなあ」とそれらを簡単に語っただけ。
でもやっぱり伝わるものがありました。
「ああ、この人たちは本物なんだ」と思いました。
改めて強い敬意を持ちました。
そこにいた次世代は私しかいません。
だから私がその代表としてこの言葉を受け取っています。
「俺たちは俺たちで大変だったけどさ。君たちは君たちで大変だと思うよ。
俺たちはさ、いつも色々言うけど、なんだかんだで君たちに期待しているんだよ。」
この言葉を私は一生忘れることはないでしょう。
これが日本を支えてきてくださった大先輩方総意の本音と私は捉えています。
メディアでは正直ウザいなと思ってしまうような御老人方が出ていたりします。
甘い蜜を吸っている人達がいるのも事実です。
でもきっとそれは一部の人たち。
先輩方は期待してくれています。
期待されていると思えばなんだか改めて頑張ろうと思えませんか?
今一度令和を動かす、中心となる我々の世代。頑張っていきましょう。共に。
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5:T
:
2020/04/24 (Fri) 10:52:23
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更新します。
今回は私の曾祖父さんにまつわるある話を記しておくことにします。
毎日のように曾祖父さんのもとに遊びくるある友人がいたらしい。
何をするわけでもない。ただただ毎日何か,おそらく雑談をしている。
タバコの類を吸わない曾祖父さんとは反対にその友人はいつもキセルを持ってきていて
談笑しながら美味しそうにそれを吸っていたらしい。
キセル片手のその姿はやはり絵になる姿だったようだ。
そしてある日曾祖父さんは亡くなった。
その後少しの間,その友人は変わらず遊びに来ていたが
いつの間にか来ることはなくなったそうだ。
そう。このエピソードの主人公は私の曾祖父さんではないです。
曾祖父さんの友人が主人公です。
取り残された感じのある晩年の寂しさがある。
私は実際にこの人たちのことを見たことがないです。
でも何か胸にくるものがある。
その友人がその後どうなったか。私からすれば親戚でも無いので何もわからない。
でも私はその人のことをここに記して少しでもこのやり場のない寂しさを解消しておくことにします。
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4:部屋主T
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2020/04/14 (Tue) 19:47:48
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こんばんは.
少なからず私も精神的な意味でこの今の状況に影響されていると思うんです.
それもあってのこの掲示板だとは思うんですよね。
知人として参加させていただく結婚式のことを思い出したりします.
まわりは知らない人の方が基本多いですよね.
しかも環境的にも場が場ですから,なんかやっぱりどっか気が張るんですよ.
そういった中で同席する知り合い,友達がいる場合にあの会場内で会った時の安堵感.
とてつもないものがあります.「うおーいたいた!俺の居場所だ」ってな具合に.
やっぱり人間である以上は未知の世界って怖いですよね.
これは防衛本能でしょうから仕方がないことです.
あの世界大戦が終わる頃にも人々は
漠然とした不安感に襲われていたということを聞いたことがあります.
戦争を経験していない我々からすれば
「戦争が終わるんですよ?」
と教えてあげたい気持ちになってしまいますが,
それはあくまでも平和という結果の上で生きてこれたから,
過ごせてこれたからであって当時の人々は戦争,
帝国主義の世界がある種の当たり前であり,
その先のことは読めない未知の世界だったのです.
今もこの状況もきっと同じだと思うんです.
そんな状況下で知っているやつが視覚的に「お,あいつ相変わらずやってんのか」と
確認できればなんか安堵できると思うんです.
そうです.冒頭にあげた結婚式のケースと同じですね.
いや,結婚式のケースは私だけなのかもしれませんが.
それでも
「俺はここにいるぜ」
と.
まずはこの掲示板のこの俺の部屋はそういう役目を果たせればいいかなと思っています.
変わらずあいつがいる.よし俺も改めてもう少し日々を頑張ってみるかと.
友達ってのはそういう存在なんじゃないかなと私は思っています.
あとはまあ個人的なアウトプットですね.
以前から知人から「あんたはなんでもいいから文章書いといたほうがよさげ」という
アドバイスを受けていました.
幸いタイミング的にも合い,そのベクトルを最近まで
タール団の機関紙「谷底新聞」(編集長F)に向けていたのですが
何せ今は色々ありましてペースが変則化しておりますので
ちっとこの間隔がある間にここに文章を記して
最悪今後の原稿の種にしてしまってもいいのかなと思っていたり.フハハ.
いや,ちょうどいいんです.この掲示板という環境が.
ブログとかnoteってのは意識が高すぎる!
あそこは鎧かぶった人たちがたくさんいるでしょう.
私には合わないんですよ.そういったところは.
SNSもSNSでやっぱダメですね.
目に見えた繋がりがあってそれが濃すぎる感があるんです.
そういう点でこの掲示板.
このくらいが,この俺の部屋がめちゃくちゃ秘密基地の一室っぽくて
居心地がいいんですよ.
というわけでここを不定期にはなりますが細く長く更新していけたらと思っています.
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3:T
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2020/04/11 (Sat) 20:56:51
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面白い話があります。
代々続く陶器「楽焼」の職人楽家というのは曽孫、玄孫のために
当主が粘土を残すという伝統があるそうです。
当主が見出し、寝かせた粘土を100年後とかに曽孫らがそれを使って
作品を生み出すのだとか。
陶器に関する知識もない素人の意見ですが大変ロマンのある話だなと
感じました。
出どころは忘れましたが経済学だか経営学で有名な海外の学者は
こういう名言を残しています。
「生きている間にどれだけの人を助けたか。次の世代がより良い時代に
なるようにあなたは何かを成したか。」
私は未だ何にもできていないですね。皆さんはどうでしょうか。
同じ時代を生きる皆さんとより良い文化を作っていきたいですね。
いや、作っていきます。
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2:T
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2020/04/11 (Sat) 12:07:00
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日本は半導体素材強国って呼ばれてんだってさ。